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...... 2020年09月08日 の日記 ......
■ 《 郷愁 》   [ NO. 2020090801-1 ] e_ch

【 ユーモレスク Op. 101の7 】

ドヴォルザーク,アントニン 〔チェコ〕
(1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 脳溢血



ドヴォルザークは、179年前の9月8日に
ボヘミアのプラハ近郊のネラホゼヴェス村で、
肉屋兼業の旅館の長男として生まれた。
その村は、スメタナの交響詩でよく知られる
モルダウ川の岸辺にある平和な美しい村だった。

幼年時代から音楽の才能をあらわしていたが、
父親は息子に家業を継がせようとし、16歳のとき
しばらくの間家業に精をだしたものの、その間も
音楽の勉強は続けていて、結局父親がおれて
プラハ音楽院で学ぶことになった。
モーツァルトが天才型だとすれば、
ドヴォルザークは努力型だった。

24歳のとき、ピアノを教えていた金細工師の娘の
ヨセフィーナと愛し合ったが、彼女は伯爵に
嫁いでいってしまい、8年後にアルト歌手だった
彼女の妹のアンナと結婚した。

二年間に最初の子どもを3人失うという
悲しい出来事があったが、その後子どもにも恵まれ、
良き夫、良き父として幸せな家庭を築いた。

62年の生涯だったが、晩年はオーストリア政府より
終身上院議員の栄誉を受け、プラハ音楽院の
院長にも就任していた。

ピアノ独奏曲の「ユーモレスク」は全部で9曲あって、
作品番号のついてない1曲をのぞいて、8曲は
53歳の夏、寛いだ気分で気楽に書き上げたものである。

彼は、51歳のときニューヨークの国民音楽院の
院長として招聘され、2年間の約束でアメリカに渡ったが
郷愁はつのり夏の休暇に故郷ボヘミアに帰り、
ヴィソカーの田舎の自宅で久しぶりに寛ぎ、心ゆくばかり
ふるさとのわが家の幸福感に浸っていたときだった

曲は明るくて親しみ深く、幸福感のただよう
上品なものとなっている。
第7番の変ト長調がもっともすぐれていて、
広く愛好されているので、「ユーモレスク」といえば
この曲をさすようなものである。
ヴァイオリンやサキソフォンの独奏曲としても
好んで演奏されている。



(ヴァイオリン)レイチェル・バートン・パイン
(ピアノ)   マシュー・ヘイグル     
           ♪ 私が聴いた音源 ♪





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