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...... 2020年06月12日 の日記 ......
■ 《死に絶えるように》   [ NO. 2020061201-1 ] e_sy

【 交響曲 第9番 ニ長調 】

マーラー,グスターフ 〔オーストリア〕
(1860.07.07〜1911.05.18) 51歳 心臓病



交響曲と歌曲の大家のマーラーは、作曲家、指揮者として
活躍したが、交響曲を11曲残している。
 
                          初演
  交響曲第1番ニ長調「巨人」         (1889.11.20)
  交響曲第2番ハ短調「復活」(声楽付)    (1895.12.13)
  交響曲第3番ニ短調    (声楽付)    (1902.06.12)
  交響曲第4番ト長調    (声楽付)    (1901.11.25)
  交響曲第5番ハ短調             (1904.10.18)
  交響曲第6番イ短調「悲劇的」        (1906.05.27)
  交響曲第7番ホ短調「夜の歌」        (1908.09.19)
  交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」(声楽付)(1910.09.12)
  交響曲第9番ニ長調             (1912.06.12)
  交響曲第10番嬰ヘ短調(未完成)       (1924.10.14)
  交響曲「大地の歌」イ短調(声楽付)     (1911.11.20)

音楽史上マーラーは、R・シュトラウスと共に
後期ロマン派の最後の大作曲家で、作風としては
ブルックナーとともに、きわめて強くワーグナーの
影響を受けているといわれている。

1908年に狭心症の発作におそわれたマーラーは、
生来の憂鬱症をいっそう高じさせ、死を恐れ、
絶望感にさいなまれ続けた晩年だったが、
その年に9番目の交饗曲「大地の歌」を作曲し、
翌年には交饗曲第9番を完成させた。
しかし、第10番は未完成のままだった、

「大地の歌」は、ブルックナーとベートーベンが、
ともに交響曲第9番を書いた後に世を去っているので、
宿命的な数を避け、番号をつけなかったのだが、
その後作曲した作品を第9番とした。
しかし、マーラーの場合もその交響曲が
最後の作品となってしまった。

マーラーが42歳のときに結婚した、
マーラーの夫人アルマは次のように書いている。
「ベートーベンもブルックナーも「第10番」を
作れなかったことから、「第9番」の番号を
恐れたマーラーは、それを避けようとした。
最初彼は「大地の歌」を「第9番」として書いたのだが、
後でその番号を消してしまった。
その後、「第9番」と呼ばれる交響曲に
取りかかっているとき、私にこう言った。
これは本当は「第10番」なのだ。
「大地の歌」が実際には「第9番」だからな」
そして最後に「第10番」を書いているときに
こう言った。「やれやれ危機は去ったぞ」と・・・

しかし、彼は「第9番」の初演を聴くこともなく、
「第10番」を完成させることも出来ず、世を去った。

「第9番」の初演は、マーラーの死の翌年の
6月12日(一説では23日)にウィーンで、弟子の
ブルーノ・ワルターの指揮で行なわれた。

マーラーの交響曲第9番は、声楽のない純器楽用のもので、
4つの楽章からなるが、伝統を離れて最初と
最後の楽章を緩やかなものとしている。

この作品を書いたころは、体力的にも疲労し、
死をしばしば考えていた。
第4楽章の最後を「死ぬように・・・」と終わらせている。

全ての交響曲の中で、最も美しく深みをたたえた曲である。

    第1楽章 Andante comodo
    第2楽章 Im Tempo eines gemächlichen Ländlers-
         Etwas täppisch und sehr derb
    第3楽章 Rondo-Burleske: Allegro assai
    第4楽章 Adagio



(管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ヴァーツラフ・ノイマン     
           ♪ 私が聴いた音源 ♪





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