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...... 2020年06月13日 の日記 ......
■ 《農民の悲劇》   [ NO. 2020061301-1 ] e_or

【 バレエ音楽「ペトルーシュカ」】

ストラヴィンスキー,イーゴリ 〔露〕
(1882.06.18〜1971.04.06) 88歳



二十世紀前半のクラシック音楽界を、常にリードした
ストラヴィンスキーは、ディアギレフが主宰する
ロシア・バレエ団のために作曲した「火の鳥」で、
パリ・オペラ座での公演が大成功をおさめた。
そして第2弾として書かれたのが「ペトルーシュカ」である。

舞台は1830年ごろ、ロシアのニコライ一世の
統治下にあった、セント・ペテルブルクの市街にある
人形芝居小屋、賑やかな謝肉祭の真っ最中。

第1場 謝肉祭の市場             
第2場 ペトルーシュカの部屋         
第3場 ムーア人(くろんぼの人形)の部屋   
第4場 謝肉祭の市場(夕方)ペトルーシュカの死

このバレエは、人形のペトルーシュカの悲劇を
主題とした作品で、全4場からなり、
副題は「4場の道化大場面」とつけられている。

人形使いが3つの人形(ペトリューシュカ、
ムーア人バレリーナ)に命を吹き込むと、
それぞれ生き物となって、動き出す。
そのうち、ペトリューシュカとムーア人が
バレリーナに恋をし、2つの人形は奪い合うが、
最後にはムーア人にペトリューシュカは殺される。

人形使いは、これはただの人形だと観客に
説明するがペトリューシュカはの幽霊が現れると、
人形使いは恐ろしくなって逃げ出してしまう。

ペーターの愛称で呼ばれるペトリューシュカは、
ロシア農民によくある名前で、かなわぬ恋をして
惨めに死んでいくピエロ的な役で、この時代の
ロシア農民を象徴させたものと思われる。。

ストラヴィンスキーはこうしたストーリーを、
多くの打楽器やチェレスタなどを使い、
当時としては非常に斬新な
オーケストレーションによって書き上げた。

中にはたくさんのロシアの民謡のメロディも
織り込まれ、それが親しみやすさとなっている。

1911年6月13日、パリのシャトレ座で初演されたが、
「火の鳥」ほどの成功と評判ではなかった。
しかし、まもなく聴衆の大きな支持を得て、
ストラヴィンスキーの作曲者としての地位は
一層しっかりとしたものとなった。

第1部 : 謝肉祭の市     
第2部 : ペトルーシュカの部屋
第3部 : ムーア人の部屋   
第4部 : 謝肉祭の市(夕景) 



(管弦楽)ワールド・オーケストラ・フォア・ピース
(指揮) ヴァレリー・ゲルギエフ        
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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