【 弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K516 】
モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス〔墺〕 (1756.01.27〜1791.12.05) 35歳
モーツァルト,ヨハン・ゲオルク・レオポルド〔墺〕 (1719.11.14〜1787.05.28) 67歳
モーツァルトの父のレオポルドは、製本業者の 子としてドイツのアウクスブルクで生まれた。 大学では法律を学んだが、2年後学業を放棄して 音楽家の道を進んだ。
21歳のときにトゥルン=ヴァルサシーナ・ウント・ タクシス伯家の従僕となった後、ザルツブルク大司教 宮廷礼拝堂楽団の第4ヴァイオリン奏者に任命され、 生涯をこの楽団員として過ごした。
38歳で宮廷作曲家の称号を得て、44歳のときに 副楽長に任じられ、233年前の5月28日に 67年の生涯を閉じるまで、その地位に留まった。
28歳にときに結婚をし、7人の子どもをもうけたが 生き残ったのは、第4子のマリア・アンナ(通称アンネル) と末子のヴォルフガングの2人だけだった。
彼は、ザルツブルクの代表的な音楽家のひとりに 数えられ、かなり多くの作品を残しているが、 彼の功績は2人の子どもの育成にあった。
特に、ヴォルフガングの幼児からの計画された 人間的音楽的教育を付き添って行なった。 レオポルドが残したヴォルフガングの作品表や 旅の記録、さらに書簡などはモーツァルトの ためのもっとも根本的な資料となっている。
モーツァルトが「弦楽五重奏曲 第4番」をウィーンで 完成させたのは、父が亡くなる直前の5月16日、 「第3番 ハ長調」は4月19日と立続けに作曲している。 この2曲は対照的な性格をもっているが、 モーツァルトの室内楽の名曲として親しまれている。
悲愴美にあふれた楽想の第4番は、 父の病が重いことを知っていて書かれたので 突き抜ける悲しさから最後は明るい光の 世界へと至るモーツァルトの美学の典型とも いえる曲で、彼の作品の中でも、 最も深い憂いをたたえたものに数えられる。
第1楽章 Allegro 第2楽章 Menuetto : Allegretto 第3楽章 Adagio ma non troppo 第4楽章 序曲; Adagio - Allegro
イザイ弦楽四重奏団 (ヴィオラ) ハット・バイエルレ ♪ 私が聴いた音源 ♪
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