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...... 2020年05月01日 の日記 ......
■ 《わが母の教えたまいし歌》   [ NO. 2020050101-1 ] v

【 ジプシーの歌 Op. 55 】

ドヴォルザーク,アントニン〔チェコ〕
(1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 脳出血



チェコのネラホゼヴェスで生まれたドヴォルザークは、
長男で7人の弟妹がいた。

32歳のときに、アルト歌手のアンナ・チェルマーコヴァと
結婚したが、二年間に最初の子どもを3人失うという
悲しい出来事があった。
しかし、その後子どもにも恵まれ、良き夫、
良き父として幸せな家庭を築いた。

62歳で世を去ったドヴォルザークの生涯は、
若いうちは大変苦労をしたが、30代の半ばに
栄光への道が開かれだしてからは幸運の連続で、
音楽史上まれにみる立志伝といわれるくらい
輝かしいものだった。

60歳のときにオーストリア政府より終身上院議員の
栄誉を受け、プラハ音楽院の院長にも就任し、
その年の誕生日には大々的な祝典が催された。

しかし、その2年後の1904年3月に倒れ、
腎臓病を患っていることが分かった。
彼が作曲した最後のオペラ「アルミダ」の初演の後
まもなくの5月1日、家族と共に昼食をとった直後に
脳溢血に襲われ、そのまま生涯を閉じた。

ジプシーの歌は、7曲で作られている歌曲集で、
39歳のときに書かれた。
それまでにも歌曲を数々書いているが、この曲集で、
歌曲創作のクライマックスに達している。

第1曲 わが歌ひびけ     
第2曲 きけよトライアングル 
第3曲 森はしずかに     
第4曲 わが母の教えたまいし歌
第5曲 弦を整えて      
第6曲 軽い着物       
第7曲 鷹は自由に      

歌詞は、ボヘミアの抒情詩人アドルフ・ヘイドゥクの
作で、民族的な題材をもち、ジプシーらしく
自由を愛する精神にあふれている。
そのような感情と精神の詩がドヴォルザークを
魅了したのだろうといわれている。

第4曲の「わが母の教えたまいし歌」は
ドヴォルザークの歌曲の中で最も有名なもので、
母想いの彼の感情にこの歌詞が
強く心を打ったのだろう。



老いた母が私に歌を教えていたときに、
目に涙を浮かべていたが、
いま私が自分の子にその歌を
教えるときにも、日焼けした頬に
やはり涙を流す

(歌詞大意)


(ソプラノ)ジャネット・マクドナルド
(指揮)  スタジオ・アンサンブル 
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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