 【 歌劇「トゥーランドット」】
プッチーニ,ジャコモ 〔伊〕 (1858.12.22〜1924.11.29) 65歳 心臓麻痺

十八世紀の劇作家ゴッツィの戯曲を基に、 プッチーニが作曲した歌劇「トゥーランドット」は、 完成までに4年を費やした。 しかも、完成を待たずにベルギーのブリュッセルの 病院で、心臓麻痺で急逝した。
1921年から作曲にとりかかっているが、 その年にテノール歌手のカルーソーがナポリで 急逝したこともあって、長い間スランプが続いた。 その上、患っていた咽頭の疾患は、この歌劇を 作曲しているうちに次第に悪化し、ついに致命的な 咽頭癌と分かった。
11月4日手術を受けるために、はるばる ブリュッセルに赴いたが、そのカバンの中には 「トゥーランドット」のフィナーレのスケッチが入っていた。
手術は不幸にして失敗してしまったが、この世を 去るまで、彼はこの歌劇の完成を念願していた。
最後の2重唱と大詰めの場は、弟子の フランコ・アルファーノが作曲して完成させた。
1926年4月25日にミラノ・スカラ座で トスカニーニの指揮で初演されたが、そのとき 彼は大詰めの場面で、静かに指揮棒を置いて 「先生の書かれたのはここまでです」と言い、 その夜はそこで終わった。 全曲が上演されたのは、2回目からだった。
時は伝説の時代、所は北京。 中国のトゥーランドット姫と蒙古のカラフ王子、 女奴隷リューの物語で、第3幕でカラフが歌う 「誰も寝てはならぬ」は、トリノ五輪で有名になった。 「愛、愛こそ永遠なれ、愛こそ永遠に輝く光!」 姫と王子の幸福を讃える群衆の 歓喜の合唱でフィナーレとなる。
|
|