 【 交響曲 第1番 ハ長調 Op. 21】
ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン 〔独〕 (1770.12.17〜1827.03.26) 56歳

1800年4月2日は、水曜日だった。 その日はウィーンのブルク劇場で演奏会が開かれた。
1、モーツァルトの交響曲 2、ハイドンの「天地創造」のなかのアリア 3、ピアノ協奏曲 4、4つの弦および3つの管弦楽のための7重奏曲 5、ハイドンの「天地創造」のなかの2重奏 6、ハイドンの皇帝讃歌によったベートーベンの即興演奏 7、新作の大交響曲
当日のプログラムだが、最後の曲目として 初演されたのが「交響曲第1番ハ長調」だった。 彼が、収入を目的として開いた演奏会の最初で、 指揮とピアノの独奏はベートーベンが行なった。
この年、師のハイドンは68歳で、 前年「天地創造」を発表して健在であり、 モーツァルトは死後9年経っていた。
モーツァルトの精神をハイドンから受け取り、 ベートーベンが第1番を完成させたのは、 30歳のときだったが、彼は早くから 天才作曲家として、その生地のボンでは有名だった。
かの文豪シラーの夫人ロッテは、ある手紙で 「私はこの作曲家に大変期待しております・・・」と 書いているが、これは彼が音楽人以外の、 文化人のなかでも知られていたということだ。 そのとき、ベートーベンは23歳だった。
モーツァルトは8歳から24年間に交響曲を41曲、 ハイドンは27歳から36年間に104書いているが、 ベートーベンは30歳から24年間に 9曲しか書いてない。 モーツヴァルトやハイドンは、交響曲をきわめて 安直に気軽に書いたが、ベートーベンは慎重だった。
4楽章からなる「交響曲 第1番」は、初演の前年から 1800年の初めにかけて作曲されたとみられている。
第1楽章 Adagio molto-Allegro con brio 第2楽章 Andante cantabile con moto 第3楽章 Menuetto : Allegro molto e vivace 第4楽章 Finale: Adagio - Allegro molto e vivace
第1楽章の第1主題は、モーツァルトの交響曲第41番 「ジュピター」の第1楽章の主題と、また第2楽章の 第1主題の途中のヴァイオリンのメロディーは、 交響曲第40番の第2楽章のそれとどことなく似ている。

(管弦楽)エンシェント室内管弦楽団 (指揮) クリストファー・ホグウッド
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