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...... 2020年03月31日 の日記 ......
■ 《 交響曲の父 》   [ NO. 2020033101-1 ] e_sy

【 交響曲 第101番 ニ長調「時計」】

ハイドン,フランツ・ヨーゼフ 〔墺〕
(1732.03.31〜1809.05.31) 77歳



ハイドンは288年前の3月31日にオーストリアの
ニーダーエースターライヒ州ローラウで 生まれた。
その村の中心に建っている教会の塔は、
遠くどこの農地からでも見え、この教会を囲んで
ひとにぎりほどの人家が村落を形作っていた。
ハイドンの生まれた家は、そのほぼ中心にあって
大きな農家の作りだった。

ハイドンの父親マティアスは、祖父の代から
車大工を生業とした家に生まれ、跡を継いだ。
この地方一帯の領主である、ハラッハ伯爵に仕えていて、
邸からもらう仕事をしながら、ぶどう栽培もしていた。

母親のマリアの父は、今日でいう村長のような、
市場裁判官をしていたが、マティアスはその跡も継ぎ、
息子たちの音楽家としての成功もみとどけて、
64歳で亡くなった。

母マリアは家庭的で、敬虔なカトリック信者だったが、
46歳のときに誠実で献身的な生涯を閉じた。
あつい信仰心は、子どもたちにも受け継がれ、
ハイドンは作曲する際かならず「神の御名によって」
という言葉を書き込んでから筆をおろし、また曲の
最後には「神を称えて」と記すのが常であった。

音楽好きの家庭に育ったハイドンだったが、
幼少のころからすぐれた音楽の才能を示した。

29歳になった1761年から、エステルハージ家での
長い多忙な宮廷生活が始まり、
5年後に宮廷楽長となった。
温厚で勤勉なハイドンは、楽員の人望を集め、
当主の信頼も厚かった。

生活は完全に保証されていたが、
自由のない窮屈な毎日を強いられていた。
しかしその間に、膨大な数にのぼる交響曲、協奏曲、
室内楽を作曲し、大作曲家としての名声を得た。

「交響曲の父」とよばれているハイドンは、
104曲にのぼる交響曲を作曲している。

1794年に完成した「交響曲101番」は、ハイドンの
交響曲のなかでは特に有名なものの一曲で、
内容的にも非常に充実した傑作である。

4楽章からなるが「時計」という名称は、
ハイドン自身の命名ではなく、第2楽章の
規則正しいスタッカートのリズムによる伴奏が、
あたかも時計の振り子を思わせる
ところから、後世の人がつけたものである。


         第1楽章 Adagio - Presto
         第2楽章 Andante
         第3楽章 Menuetto : Allegro
         第4楽章 Finale: Vivace



     (管弦楽)ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
     (指揮) ニコラウス・アーノンクール





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