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...... 2020年03月21日 の日記 ......
■ 《 バロック音楽 》   [ NO. 2020032101-1 ] s

【 無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009 】

バッハ,ヨハン・セバスティアン 〔独〕
(1685.03.21〜1750.07.28) 65歳



バッハはドイツのテューリンゲン地方の西端、
ルターの聖書訳で知られるヴァルトブルクの古城を
仰ぎ見るところにある、アイゼナッハという、
人口5,6万の小さな町で生まれた。

3月23日に、この町の聖ゲオルク教会で洗礼を
受けているので、生まれたのはその2日前の
3月21日だろう言われているが、
正確なことは判らない。

幼い時から父や兄に音楽を学んでいたが、
9歳で母が10歳で父が死去し、兄に引き取られた。
23歳で宮廷オルガニストになったころは、
オルガニストとしての名声はますます高まっていった。

65歳で亡くなるまでに無数の名曲をのこし、
ヘンデルとともにバロック音楽の最後を飾り、
音楽史最大の音楽家の1人となった。

バッハ家は、ヨハン・セバスティアン・バッハから
四代前の十六世紀末から、息子たちの世代である
十八世紀の末にいたるまで、200年にわたり
50人以上の音楽家を輩出している。

「バッハの生涯はまことに平凡である。
同年のヘンデルがヨーロッパを股にかけて活躍し、
その生涯が波瀾に富んでいるのに対して、
バッハは一生の間ドイツから足を踏み出したことがなく、
その生活は典型的な中流市民のそれであった。
モーツァルトのように彼の神童ぶりを伝える逸話もなく、
ベートーベンの生涯を貫く、劇的な精神の葛藤もない。
ショパンやリストの生涯を彩る華やかな女性関係もない。
あるのはただ、ひたすらに自らの職務を全うし、
つつましい家庭生活を愛した平凡な職業音楽家の
姿なのである。
そのような平凡な生活から、あのような非凡な音楽が
生まれたことこそが、むしろ奇跡のようにさえ思える。」
(バッハについて書かれている文から)

その時代のドイツの音楽家は、都市、宮廷、教会という、
そのいずれかに雇われて、それぞれの職場が要求する
音楽を提供する以外には生活ができなかった。

彼は、22歳のときに又従姉妹のマリア・バルバラと
結婚し、7人の子ども(3人は死亡)に恵まれ、
長男と次男は優れた作曲家となった。
マリーアは良妻賢母であったが、長男が12歳のときに
病死してしまう。

しかし、翌年16歳年下のソプラノ歌手の
アンナ・マグダレーナと再婚し、彼女は13人の
子どもを生み、夫を心から敬愛し、良き伴侶として
平和な家庭を築いた。
バッハは愛する妻や子どももために、
数多くの家庭音楽を作曲している。

バッハは「無伴奏チェロ組曲」を全6曲作曲した。
チェロ独奏用の楽曲で、チェリストの聖典的な
作品と見なされている。

      無伴奏チェロ組曲 第1番 ニ短調 BWV1007
      無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008
      無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009
      無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010
      無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011
      無伴奏チェロ組曲 第6番 二長調 BWV1012

「第3番 ハ長調」は、主音から舞い降りるように
順次下降する旋律が、スケールが大きく
展開される。
後半の分散和音の連続から、重音の連続に至る
過程は、圧倒的な高揚感がある。

          第1楽章 Prelude
          第2楽章 Allemande
          第3楽章 Courante
          第4楽章 Sarabande
          第5楽章 Bourree
          第6楽章 Gigue



         (チェロ)トゥルルス・モルク
             ♪ 私が聴いた音源 ♪


【 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007 】は
2020年3月20日に掲載





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