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...... 2020年03月10日 の日記 ......
■ 《名技巧バイオリニスト》   [ NO. 2020031001-1 ] e_ch

【 序奏とタランテラ Op. 43 】

サラサーテ,パブロ.デ 〔西〕
(1844.03.10〜1908.09.20) 64歳 気管支炎



無数のヴィルトゥオーソたちが名人芸的演奏の
黄金時代を築きあげた十九世紀における、
もっともすぐれたヴァイオリニストのひとりにあげられる
サラサーテは、176年前の3月10日にスペインの
パンプローナで生まれた。

父は軍楽隊の楽長で、ヴァイオリンの手ほどきを
父から受け、8歳ですでにステージを踏むほどの
才能をみせた。

彼は10歳のとき、マドリッドの宮廷での
御前演奏に妙技をしめし、女王イザベラから
ストラディヴァリウスの名器を与えられている。

12歳でパリ音楽院に入学し、在学中には作曲も
学び作品も残しているが、卒業後は
演奏家としての道を歩み始めた。

サラサーテの作品で最も有名なのが
「ツィゴイネルワイゼン」で、スペインのジプシー
特有の甘美な旋律と音色、そして奔放なまでに
情熱的音楽の魅力は、誰もの心を打つのだろう。

演奏家としてのサラサーテには、
大作曲家たちが競って名曲を捧げた。
彼は驚くべき名技巧ヴァイオリニストで、華麗な名人芸と、
魔術的、悪魔的ともいうべき怪しい音色と魅惑的な
歌い回しで、聴くもの全てを魅了したといわれ、
彼の演奏は、他の大作曲家たちの創作意欲をも
刺激し、数多くの名曲を生み出した。

サラサーテが演奏家として活動を始めたのは
1860年代のパリだった。
最初に仲良くなったのは、新進ピアニストとして
売り出し中のサン=サーンスで、名曲
「序奏とロンド・カプリチオーソ」をサラサーテに捧げ、
1865年には二人でデュオを組んで演奏旅行をした。

1870年代前半にはラロがサラサーテの
魅力の虜になり「ヴァイオリン協奏曲第1番」、
「スペイン交響曲」をサラサーテのために書いた。
「スペイン交響曲」はチャイコフスキーを刺激して、
彼に「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」を
書かせるきっかけになった。

1870年代に後半にはドイツにも演奏旅行を
するようになり、ドイツの作曲家の
ブルッフが「ヴァイオリン協奏曲第2番」と
「スコットランド幻想曲」をサラサーテに捧げた。

ブラームスもサラサーテの妙技に感銘して、
「ヴァイオリン協奏曲第3番」を書いている。

     ラロ〔仏〕    (1823.01.27〜1892.04.22)
     ブラームス〔独〕 (1833.05.07〜1897.04.03)
     サン=サーンス〔仏〕(1835.10.09〜1921.12.16)
     ブルッフ〔独〕  (1838.01.06〜1920.10.02) 

ヴァイオリンとピアノのための「序奏とタランテラ」は、
メロディックな部分と活発な舞曲からなる
華麗な作品で、ゆったりと伸びやかでどこか
哀愁を帯びた序奏の後にイタリアに伝わる
激しい舞曲、技巧的なタランテラが繰り広げられる。

タランテラはイタリアのターラント地方の
古い8分の6拍子の速い舞曲で、その地方にいた
毒蜘蛛(タラントゥーラ)に刺されると舞踏病の
タランティスモという精神病になり、それを
治すために踊り狂うと正常に戻るといわれた踊り。



       (ヴァイオリン)アデル・アンソニー
       (ピアノ) 江口 玲
              ♪ 私が聴いた音源 ♪





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