[PREV] [NEXT]
...... 2020年03月02日 の日記 ......
■ 《 華麗な組曲 》   [ NO. 2020030201-1 ] e_or

【 交響詩「リチャード三世」Op. 11 】

スメタナ,ベドルジハ 〔チェコ〕
(1824.03.02〜1884.05.12) 60歳 精神錯乱


            
チェコ国民楽派の創始者であるスメタナは、
196年前の3月2日ボヘミア北部のリトミシュルの
城付のビール醸造人で、音楽好きだった父と、
領主の御者の娘だった母との間の
長男として生まれた。

早くから楽才をあらわして、6歳のときには
公開演奏会でピアノを弾き、8歳で作曲を
試みたといわれている。
彼の作品は、民族的精神が深く根ざした歌劇と
交響詩が有名である。

熱烈な民族主義者で、チェコの国民音楽の
基礎を築いた。
スメタナ以後のドヴォルザークその他の
チェコ音楽に比べ、激しく攻撃的で、
それが迫力となっている。

50歳のときに梅毒に罹り聴覚を失い隠退した。
しかし、経済的安定も失い暗い生活の中にも、
燃え続ける創作意欲にかられて、1874年から
79年の6年間にわたって書きあげたのが、
連作交響詩「わが祖国」である。

1884年には精神錯乱によりプラハの精神病院に
収容され、この地で60年の生涯を終えた。

スメタナの一生には、悲劇性がつきまとっているが、
彼の創作の本領も真摯で悲劇的な感情の表現にある。
しかし、そればかりではなくて、スメタナの音楽は、
明るい楽天主義と深い抒情を漂わせ、
民族精神を反映させている。

1856年にプラハを離れ、およそ4年半にわたって
スウェーデン西部の港町イエテボリに滞在した折に
交響詩「リチャード三世」は書かれた。

当時スメタナはリストから大きな影響を受けていた。
スメタナがプラハで音楽学校を開く際に、
リストは温かい援助の手を差し伸べるなど
スメタナの良き理解者だった。

彼はリストへの手紙の中で、尊敬する先生と呼び、
『演奏会で、私が編曲したワーグナーの「タンホイザー
序曲」を演奏しました。
作曲の分野では、シェークスピアの戯曲を元にした
「リチャード三世」の音楽を仕上げたところです』
とイエテボリでの生活について報告している。



     (管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
     (指揮) ヴァーツラフ・ノイマン
               ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: