 【 ホタ・アルゴネーサの主題による華麗な奇想曲 】
グリンカ,ミハイル・イヴァノヴィチ〔露〕 (1804.06.01〜1857.02.15) 52歳

グリンカはロシア国民楽派の祖として知られているが、 十九世紀の東ヨーロッパにおける国民主義音楽の 先駆的存在でもあった。
十九世紀前半のロシアでは、貴族はドイツ音楽や イタリア・オペラに夢中になっていたが、 一般民衆のための芸術音楽は、無に等しい存在だった。
自由な考えをもつ貴族出身のグリンカは、 そんな状況をなんとかしようと、ロシア独自の 国民的な音楽文化を築き上げようと努力した。
彼は早くから音楽の勉強をしていたが、 父の意志により、運輸省に勤務したものの6年後に 公職を辞して、音楽の勉強をやり直している。
1845年から47年にかけて、彼はスペインで 過ごしたが、旅を終えてポーランドに帰り、 翌年からしばらくワルシャワに定住した。
ここで、彼はワルシャワ公の イヴァン・パスケーヴィッチの知遇を得た。 グリンカは、ロシア・シンフォニズムの 確立者としても知られている。
47歳のときに母親の死にあった グリンカは、 もともと身体の弱かったこともあり、その後 健康がすぐれなかった。
彼は死の前年、教会音楽を研究するために ベルリンに赴いたが、十分に成果をあげないうちに 2月15日にこの地で客死した。
1844年にパリでベルリオーズの知遇を得、 管弦楽技法上でも影響を受けている。 その翌年から47年にかけて、彼はスペインで過ごしたが、 そのときスペインの音楽と踊りに魅了され、 スペインの民族音楽を研究した。
1845年に作曲した「スペイン序曲第1番」が 「ホタ・アルゴネーサの主題による華麗な奇想曲」で、 スペインの若者が弾く「ホタ・アルゴネーサ」のギターの メロディを聴き、記憶にしっかりと刻み、作品となった。
重厚なロシア風の序奏に続き、明るく軽やかな 3拍子の主旋律「ホタ・アルゴネーサ」で始まる。 曲の最後のコーダにも主旋律が使われ、 絢爛豪華に曲が終わる。
「ホタ」はスペインの民謡また民族舞踊の名前で、 「ホタ・アルゴネーサ」は、スペイン北東部の アラゴン地方の舞曲で、男女によって踊られ、特に男性が 高く飛び跳ねる振付けが特色である。
リストやサン=サーンス、アルベニスなど多くの 作曲家が「ホタ・アルゴネーサ」の舞踏曲に基づいた 作品を作曲している。

(管弦楽)ソビエト国立交響楽団 (指揮) エフゲニー・スヴェトラーノフ ♪ 私が聴いた音源 ♪
|
|