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...... 2020年02月14日 の日記 ......
■ 《勇士》   [ NO. 2020021401-1 ] e_sy

【 交響曲 第2番 ロ短調 】

ボロディン,アレクサンドル・
         ポルフィリェヴィチ〔露〕
(1833.11.12〜1887.02.27) 53歳



十九世紀前半までの音楽は、ドイツ、イタリア、
フランスが中心で発展し、その他の国々では
見るべきものがなかった。

十九世紀後半になると、それぞれの民族特有の
音楽を作ろうとする気運が高まり、国民音楽の
先駆となったのがロシアだった。

ボロディンが29歳のときに加わって出来たのが、
国民学派のロシア五人組(力強い仲間)である。

キュイ(1835〜1918)(築城学の権威)
バラキレフ(1837〜1910)(数学専攻)
ムソルグスキー(1839〜1881)    
リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)

民族的特色を生かしたロシア国民学派の音楽は、
グリンカによって始まり「五人組」に引き継がれた。

ヨーロッパ音楽の伝統的形式を要する交響曲の中では
彼らの強い民族的個性が生かしきれず、
交響曲の分野では、あまり傑作を残していない。

その中で、ボロディンの「交響曲第2番」は、
厳格な交響曲形式と、濃厚なロシア民族的表現とが
見事に調和した傑作といわれる。

1869年に着手したが、歌劇「イーゴリー公」の作曲にも
とりかかっていて、完成したのは8年後の1877年だった。

その後、第3番にも着手したが、未完成で世を去り、
グラズノフによって完成された。

「交響曲第2番」は、彼が44歳の2月14日に
ペテルブルグにおいてロシア音楽協会の
演奏会で初演され好評を得た。

歌劇「イーゴリー公」の草稿から除かれた部分は
「交響曲第2番」に用いられていて、古いロシアの
旋律と吟遊詩人の歌の復活や「ダッタン人の踊り」を
思わせる部分もあったりする。

作曲者の死後、R.コルサコフとグラズノフによって
オーケスレーションが改訂されていて、
現在演奏されるのは、この改訂版である。

全曲を流れる力強いスラブ的要素から
「勇士」(英雄)の名で呼ばれ、
「ロシア及びロシア人の国民性を知ろうと思えば、
チャイコフスキーの「悲愴交響曲」と、ボロディンの
「交響曲第2番」を聴けばよい」とまでいわれた。

さらに、チャイコフスキーなどの悲劇的な
ロシア音楽とは反対に、この作品は溢れ出る気迫、
生活への愛情と、自然の力を現わしていて、
ロシアの自然への讃歌であり、ロシアの大地を照らす
太陽の讃歌だとも・・・

ボロディンは有機化学の研究者であり、
医科大学の教授として多忙な生活を送っていたため、
「日曜日の作曲家」と言われ、
一つの作品の完成までに長い年月を要し、
作られた音楽作品はきわめて少ない。

       第1楽章 Allegro-Animato assai
       第2楽章 Scherzo.Prestissimo-Allegretto
       第3楽章 Andante
       第4楽章 Finele.Allegro     



      (管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
      (指揮) ヴァーツラフ・スメターチェク
                ♪ 私が聴いた音源 ♪





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