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...... 2020年01月19日 の日記 ......
■ 《 ロシアンクレンペラー 》   [ NO. 2020011901-1 ] e_sy

【 交響曲 第5番 ニ短調 「革命」Op. 47 】

ショスタコーヴィチ,ディミトリー〔ソビエト〕
(1906.09.25〜1975.08.09) 68歳 肺癌

ムラヴィンスキー,エフギニー 〔露〕
(1903.06.04〜1988.01.19) 75歳   



世界的な指揮者のムラヴィンスキーは、
サンクトペテルブルクの貴族の家に生まれた。

父は法律家、母は歌手で、恵まれた家庭だったが、
1917年のロシア革命で財産を没収され
3年後に父は世を去った。

ムラヴィンスキーは、生物学を学んでいたが、
21歳でレニングラード音楽院に入り直し、
卒業後はマリインスキー劇場で指揮者としてデビューし、
後にレニングラード・フィルハーモニー交響楽団で
常任指揮者として活躍した。

威厳のある振る舞いと超絶的パフォーマンス、
そして、その長身から「ロシアンクレンペラー」の
異名を得ている。

1973に初来日しているが、飛行機嫌いのため
シベリア鉄道と船による来日だった。
日本に対しては非常に大きな好感をもち、
その後3度来日している。

32年前の1月19日にレニングラードで
75年の生涯を閉じた。

ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチと親交を
結んでいて、多くの曲を初演している。

1937年に作曲したショスタコーヴィチの代表作に
数えられる「交響曲第5番」は、屈指の傑作といわれ、
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を思わせる。

この曲を聴いた文豪トルストイは、
「各楽章はおのおの一つの心理的気分を完全に
かたちづくっている・・・
そこには喜びと幸福の感情があり、この感情は
オーケストラの中から泡立ちあふれ、春風のごとく
ホールをよぎってゆく。

そして聴衆は作曲者に感謝も念を感じるのである。
ソヴィエトの聴衆の示す反応は真実である。
ソ連の聴衆は、堕落した、暗い、厭世的な芸術を
吸収する能力はもたない。

しかし、喜ばしいもの、楽天的なもの、自らを肯定する
ものに対しては、熱狂的に呼応する。
そして、ショスタコーヴィッチの明るい人生観は、
ソヴィエトの聴衆により理解され受け入れられたのである」
と書いている。

この作品は4楽章からなるが、第1楽章は通常の
アレグロではなくて、モデラートと指定されている。
総譜には調号が明記してなくて、第1楽章には
調号さえないが、ニ短調とみとめられる。

第3楽章は、全曲中最も純美にあふれた楽章で
ショスタコーヴィチがいかに繊細で審美主義者で
あるかを示している。

作曲した年の11月21日にレニングラードで
ムラヴィンスキーの指揮、レニングラード・
フィルハーモニー・アカデミー管弦楽団の演奏で
初演され、大成功だった。

         第1楽章 Moderato
         第2楽章 Allegretto
         第3楽章 Largo
         第4楽章 Allegretto non troppo



      (管弦楽)ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
      (指揮) クルト・マズア
                ♪ 私が聴いた音源 ♪





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