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...... 2020年01月11日 の日記 ......
■ 《イタリアのモーツァルト》   [ NO. 2020011101-1 ] e_co

【 オーボエ協奏曲 ハ長調 】

チマローザ,ドメニコ 〔伊〕
(1749.12.17〜1801.01.11) 51歳



十八世紀の後半における代表的喜歌劇作家の
チマローザは、 「イタリアのモーツァルト」といわれた。
モーツァルトが生まれる7年前の12月17日に、
ナポリ近郊のアヴェルサで生まれた。

父はレンガ職人、母は洗濯女という貧しい家庭に
生まれ、父と早くに死に別れたチマローザは、
近くの僧院の神父からオルガンを習った。
11歳のとき楽才を認められて、ナポリの
サンタ・マリア・ディ・ロレト音楽院に入学を
許可され、そこで11年間学び、作曲家となった。

最初のオペラがナポリで上演され、続いて
ローマでも次々と初演されると、チマローザの
名前は一躍ヨーロッパで有名になり、ナポリの
王宮教会のオルガニストの地位についた。

その後、ロシアのカテリーナ二世の
宮廷作曲家としてペテルスブルグに赴いた。

1791年、オーストリアのレオポルド二世の招きを
うけて、宮廷楽士長としてサリエリの後を継いだ。

その後、ナポリで暴動が起き、ナポリ王の国外逃亡、
フランス共和軍のナポリ占領、その後に
王が帰国しブルボン王朝が復活した。

急進的思想の持主であったチマローザは、
ナポレオン軍がナポリに進駐してきたのを歓迎して
讃歌を作曲していたので、1799年の
ナポリ共和国設立運動に加わったかどで捕らえられ、
死刑の宣告を受けて、牢獄に監禁された。

だが、ロシア宮廷からの申し入れによって釈放され、
ナポリから追放された。
ペテルブルグへ赴く途中の、1801年1月11日に
ヴェネツィアで客死したが、監禁により健康を
害したのが命取りとなったといわれている。
51年の生涯だった。

チマローザは76曲におよぶ多数のオペラを書いたが
その他にオラトリオ、カンタータ、ミサ、モテット、
鍵盤楽器のソナタなどを残している。
彼自身優れたヴァイオリンと鍵盤楽器の奏者であり、
又、歌手でもあった。

ピアノ・ソナタ(正確にはチェンバロ用)は、
最近まで知られていなかったが、1926年に
ボーゲンが、32曲を3巻にまとめてパリで出版した。

これらのソナタは、古典ソナタ以前の単楽章ソナタの
形式をとり、チマローザの若いころの作品らしく、
形式的には、拙劣で内容的には豊かなものではないが、
編曲者のベンジャミンが、比較的優れ、
オーボエまたはクラリネットに適した4曲を選び、
これを4楽章からなる協奏曲に編曲して、
原作に新たな生命を吹き込んだのが
「オーボエ協奏曲」(クラリネット協奏曲)である。

         第1楽章 Introduzione
         第2楽章 Allegro
         第3楽章 Siciliana
         第4楽章 Allegro giusto



     (ピッコロ・トランペット)パーチョ・フローレス
     (チェンバロ)ザビーネ・エルドマン
     (管弦楽)  ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団
     (指揮)   クリスチャン・バスケス
                 ♪ 私が聴いた音源 ♪





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