 【 オペラ「後宮からの誘拐 K.384」】
モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス〔墺〕 (1756.01.27〜1791.12.05) 35歳

1782年はモーツァルト(26歳) コンスタンツェと結婚した年。
1/9(水曜日) 父へ どうして手紙を書いてくれないのか僕には分かりません。 そんなに怒っているのですか。 まさか僕の結婚に 腹をたてているのではないでしょうね。
1/30(水曜日) 父へ 「イドメネオ」の台本を送って下さい。 僕の発表会の準備に必要なのです。 発表会は四旬節の第3日曜にはもう行われるので、 すぐ送っていただきたいのです。 オペラは眠っているわけでなく、グルックの 大きなオペラのためと、歌詞にどうしても直さなければ ならない所が沢山あるために遅れているのです。 ・・・ 僕の愛するコンスタンツェはそんなひどい考え方を するなんて思わないで下さい。
眠っているオペラとは「後宮からの誘拐」、グルック のオペラとは「タウリスのイフィゲーニェ」のこと。
4/10(水曜日) 父へ 無事に全部が届き、お父さんには時計の紐と煙草入れが、 お姉さんには2つの帽子が気に入ったということで 嬉しく思います。 コンスタンツェはお父さんのお手にキスを、 お姉さんには心からの抱擁を送り、仲良しになって いただきたいと願っています。 僕は日曜の12時スヴィーテン所へ通っています。 そこではヘンデルとバッハ以外は演奏されません。 僕はバッハのフーガを集めています。 セバスティアンだけでなくエマヌエルや フリーデマン・バッハのも。 イギリスのバッハが亡くなったことはご存じでしょうね。 音楽界にとって惜しいことです。
イギリスのバッハとはクリスティアン・バッハ。
5/7(火曜日) トゥン伯爵邸で「後宮からの誘拐」第2幕を試演。 さらに29日同邸で第3幕を試演。 伯爵夫人はモーツァルトの終生変わらぬ保護者だった。
5/15(日曜日) ヨーゼフ2世の依頼による K.384ジングシュピール 「後宮からの誘拐」(序曲と3幕21曲)を仕上げた。 台本は前年7月30日に受け取っていた。 前年9月中旬にウィーンを訪問したロシアの大公の 歓迎行事で演奏される予定だったが、大公のウィーン 訪問が11月に延期になり、しかも歓迎オペラには グルックの旧作が選ばれてしまった。
しかしそれが結果的にモーツァルトに幸いし、 彼は組み立てから真剣に考え直すことができたという。 作曲の仕方について前年9月26日の手紙で詳しく 父に説明している。 以前のどのオペラもしのぐ傑作となった。 内容は、海賊にさらわれ、トルコの太公セリムの ハーレムに売られた娘コンスタンツェを 救い出すために、恋人ベルモンテがセリムの館に 侵入するという劇。
まさにモーツァルトの現実そのものと言ってもよい。 なお、台本はクリストフ・フリードリヒ・ブレツナーの 喜劇「陶酔」の改作だったので、このジングシュピールの 評判が高まると、当然のようにブレツナーから 抗議されたという。
7/16(火曜日) ウィーンのブルク劇場でオペラ「後宮からの誘拐」が 初演された。
8/4(日曜日) 父の同意のないまま、聖シュテファン教会で コンスタンツェと結婚。 モーツァルトの死のときもこの教会の小礼拝堂で 葬儀が行われた。
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