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...... 2020年01月09日 の日記 ......
■ 《 1782年 》   [ NO. 2020010901-1 ] e_o

【 オペラ「後宮からの誘拐 K.384」】

モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス〔墺〕
(1756.01.27〜1791.12.05) 35歳



1782年はモーツァルト(26歳)
コンスタンツェと結婚した年。

1/9(水曜日) 父へ
どうして手紙を書いてくれないのか僕には分かりません。
そんなに怒っているのですか。 まさか僕の結婚に
腹をたてているのではないでしょうね。

1/30(水曜日) 父へ
「イドメネオ」の台本を送って下さい。
僕の発表会の準備に必要なのです。
発表会は四旬節の第3日曜にはもう行われるので、
すぐ送っていただきたいのです。
オペラは眠っているわけでなく、グルックの
大きなオペラのためと、歌詞にどうしても直さなければ
ならない所が沢山あるために遅れているのです。 ・・・
僕の愛するコンスタンツェはそんなひどい考え方を
するなんて思わないで下さい。

眠っているオペラとは「後宮からの誘拐」、グルック
のオペラとは「タウリスのイフィゲーニェ」のこと。

4/10(水曜日) 父へ
無事に全部が届き、お父さんには時計の紐と煙草入れが、
お姉さんには2つの帽子が気に入ったということで
嬉しく思います。
コンスタンツェはお父さんのお手にキスを、
お姉さんには心からの抱擁を送り、仲良しになって
いただきたいと願っています。
僕は日曜の12時スヴィーテン所へ通っています。
そこではヘンデルとバッハ以外は演奏されません。
僕はバッハのフーガを集めています。
セバスティアンだけでなくエマヌエルや
フリーデマン・バッハのも。
イギリスのバッハが亡くなったことはご存じでしょうね。
音楽界にとって惜しいことです。

イギリスのバッハとはクリスティアン・バッハ。

5/7(火曜日)
トゥン伯爵邸で「後宮からの誘拐」第2幕を試演。
さらに29日同邸で第3幕を試演。
伯爵夫人はモーツァルトの終生変わらぬ保護者だった。

5/15(日曜日)
ヨーゼフ2世の依頼による K.384ジングシュピール
「後宮からの誘拐」(序曲と3幕21曲)を仕上げた。
台本は前年7月30日に受け取っていた。
前年9月中旬にウィーンを訪問したロシアの大公の
歓迎行事で演奏される予定だったが、大公のウィーン
訪問が11月に延期になり、しかも歓迎オペラには
グルックの旧作が選ばれてしまった。

しかしそれが結果的にモーツァルトに幸いし、
彼は組み立てから真剣に考え直すことができたという。
作曲の仕方について前年9月26日の手紙で詳しく
父に説明している。
以前のどのオペラもしのぐ傑作となった。
内容は、海賊にさらわれ、トルコの太公セリムの
ハーレムに売られた娘コンスタンツェを
救い出すために、恋人ベルモンテがセリムの館に
侵入するという劇。

まさにモーツァルトの現実そのものと言ってもよい。
なお、台本はクリストフ・フリードリヒ・ブレツナーの
喜劇「陶酔」の改作だったので、このジングシュピールの
評判が高まると、当然のようにブレツナーから
抗議されたという。

7/16(火曜日)
ウィーンのブルク劇場でオペラ「後宮からの誘拐」が
初演された。

8/4(日曜日)
父の同意のないまま、聖シュテファン教会で
コンスタンツェと結婚。
モーツァルトの死のときもこの教会の小礼拝堂で
葬儀が行われた。





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