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...... 2020年01月05日 の日記 ......
■ 《 オーケストラの父 》   [ NO. 2020010501-1 ] e_ch

【 ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 Op. 78 】

ブラームス,ヨハネス〔独〕
(1833.05.07〜1897.04.03) 63歳 肝臓癌

ユンケル,アウグスト 〔独〕
(1868.01.27〜1944.01.05) 75歳 脳溢血



日本の交響楽界に尽くしたユンケルは、
ドイツ西部アーヘン近郊のシュトルベルクで生まれ、
7歳からヴァイオリンを始めた。

13歳でケルン音楽院に入学したが、在学中に
ケルンを訪れたブラームスの前で、彼の代表作の
「ヴァイオリン・ソナタ 第1番」“雨の歌”を演奏し、
激賞されたという。

ケルン音楽院を首席で卒業後、ベルリンの
音楽院でブラームスの盟友の大ヴァイオリニストの
ヨアヒムに師事した。

22歳のときに、ベルリン・フィルの
第一ヴァイオリン奏者に採用され、
すぐにコンサートマスターに昇格した。

翌年ボストンに渡り、首席ビオラ奏者として
シカゴ交響楽団の前身の創設に参画した。

29歳でドイツに戻ったが、ボストンで知り合った
美術史家のフェノロサから日本のことを聞き、
興味を持ち翌年来日した。

ユンケルは1912年まで13年間東京音楽学校
(東京芸術大学)で、ヴァイオリン、管弦楽合唱、
和声法、作曲を教えた。
滝廉太郎、山田耕筰、信時潔、三浦環なども
門下だった。

一旦ドイツに帰国したが35年に日本に戻り、
武蔵野音楽学校(武蔵野音大)で、指導した。
シューベルトの「未完成交響曲」の日本初演などを
通じ、「オーケストラの父」と尊敬された。

38歳のときに、鎌田能ふと結婚している。
1944年1月5日東京.百人町の自宅で
脳溢血のため75年の生涯を閉じた。

ブラームスは40歳を過ぎて、初めて
ヴァイオリン・ソナタを出版したが、第1番と
呼ばれているこの曲以前にも数曲書いている。

しかし、3つのヴァイオリン・ソナタしか残してなくて、
モーツァルトやベートーベンと比べると、
その数は非常に少ないが質の上では先輩の曲に
劣らなくて、ロマン派のヴァイオリン・ソナタのなかの
最高傑作に属している。

この曲には「雨の歌のソナタ」という副題が
ついているが、彼の歌曲「雨の歌」の旋律が第3楽章の
冒頭に使われていることからきている。
それも、全曲を通して夏の雨の気分が感じられる。

彼は44歳から3年間、毎夏を生地のオーストリアの
ヴェルター湖畔にあるペルチャッハで過ごしたが、
夏も涼しく風光明媚なその場所で作られた作品は、
どれもそこの景色を想わせるように、
爽快で優雅で気品に富んでいる。

私的な初演が行なわれたのも1879年の夏で、
ブラームスのピアノとヨアヒムのヴァイオリンで
行なわれたが、聴き手にはシューマンの妻クララもいた。

        第1楽章 Vivace ma non troppo
        第2楽章 Adagio
        第3楽章 Allegro molto moderato



       (ヴァイオリン)ジョン・フェイディアル
       (ピアノ) アンドリュ・ハーレー
                ♪ 私が聴いた音源 ♪





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