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...... 2019年12月17日 の日記 ......
■ 《 旅の途中で 》   [ NO. 2019121701-1 ] e_co

【 ピアノ協奏曲 第2番 変ホ長調 Op. 32 J.155 】

ウェーバー,カルル・マリア・フォン 〔独〕
(1786.11.18〜1826.06.05) 39歳 結核



ウェーバー家は貴族の家柄で、父親は男爵の
爵位を持っていたが、軍人、音楽家、役人として
不安定な生涯を送った。
彼の夢は、モーツァルトの父のように息子たちを
神童に仕上げることだった。

最初の結婚で生まれた2人の息子には、
期待した成果は得られなかったが、
50歳を過ぎてからの再婚で生まれた息子の
ウェーバーによって、年来の夢は達成した。

父親は、劇場の舞台監督兼楽長のような
仕事をしていたので、ウェーバーも一緒に
各地を転々としながら父から音楽教育を受けた。

13歳でオペラの処女作を作曲したが、
ウェーバーは、なによりも先ずオペラの作曲家で、
幼少のころからの体験が、彼をそう運命づけた。

彼は天才にはつきものの、現状には満足できない
理想主義、若さ、投機的な父の思惑についていけず、
不安定な生活を送った。

ドレスデン歌劇場の指揮者に迎えられた
31歳のときにオペラ歌手のカロリーネと結婚したが、
二人の生活は豊かなものではなかった。

ウェーバーは座骨を患い、4歳になるまで歩行が
できなかったが、晩年も胸と喉頭の結核に冒されて、
医師から静養を命じられていたものの、
長年貧乏を味わってきた彼の家族に対する思いやりから、
無理を承知でロンドンでの演奏会の指揮をした。

その後病状は悪化し異郷で不帰の客となった。
彼は、生涯を旅に生きた作曲家だった。

ピアノ奏者としても活躍したウェーバーの
「ピアノ協奏曲 第2番 」は、3楽章からなるが、
仕事探しの旅の途中訪れたミュンヘンで第3楽章が書かれ、
その後、プラハ、ライプチヒ、ベルリンを経て、
1812年の秋から冬にかけてドイツ中部の町のゴータで、
第1楽章と第2楽章を書き完成させ、
初演は12月17日に行われた。

このように、複数の楽章をもつ作品を書く場合、
後の楽章から書き始めるのがウェーバーの習慣だった。

        第1楽章 Allegro moderato
        第2楽章 Adagio
        第3楽章 Rondo: Presto



        (ピアノ)ロラント・ケラー
        (管弦楽)ベルリン交響楽団
        (指揮) ジークリート・ロンドウ
             ♪ 私が聴いた音源 ♪





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