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...... 2019年12月11日 の日記 ......
■ 《 抒情的モノドラマ 》   [ NO. 2019121101-1 ] v

【 レリオ、または生への復帰 Op. 14bis 】

ベルリオーズ,ルイ・エクトル 〔仏〕
(1803.12.11〜1869.03.08) 65歳



ベルリオーズは、216年前の12月11日に
フランス南部の田舎町で、医師の父親の
長男として生まれた。
音楽は、父のフルートで独習し、一般教育も
父の手によってなされ、学校には行かなかった。

父親が地方の名家の医師ということもあって、
18歳のときに、大学入学資格試験に合格し、
パリで医学を学んでいたが、オペラに夢中になり
音楽家にな ろうと独学で音楽の勉強を始めた。

後にパリ音楽院で、オペラと作曲を学んだ。
1830年 にローマ大賞を受賞したベルリオーズは、
賞金を得て、ローマに留学している。

ベルリオーズは24歳の無名のころ、有名な
女優ハリエット・スミッソンに心を奪われた。
絶望的な恋は、創作力への刺激となって働き、
3年後に生まれたのが「幻想交響曲」だった。

この作品は「ある芸術家の生涯の挿話」という
2部作の第1部である。
1832年に作曲したのが続編の第2部の
抒情的モノドラマ「レリオ、または生への復帰」で、
俳優、独唱、合唱、ピアノ、オーケストラの
編成になっている。

主人公レリオはベルリオーズ自身で、この曲の
中心となるのはレリオの独白である。
この役どころは歌手ではなくて、優れた俳優が
演ずるよう指定している。

30歳のとき、両親の反対にもかかわらず
2人は結婚したが、そのときの立ち会い人の1人が、
すでに有名だったリストだった。

しかし、7年後には別居生活にはいり、国外の
演奏旅行には、歌手のマリー・レチオを伴うようになり、
後に彼女とは再婚した。

1854年にハリエットの死、その8年後にマリーの死、
さらに5年後にハリエットとの間の子どものルイが死に、
ベルリオーズは孤独感をつのらせた。

リストの好意で行なわれたオーストリア、ドイツ、
ロシアの演奏旅行が最後となり、一生を波瀾の
多い戦いのうちに過ごし、苦悩に満ちた
65年の生涯を閉じた。



     (合唱) トロント・メンデルスゾーン合唱団
     (管弦楽)トロント交響楽団
     (指揮) アンドリュー・デイヴィス
               ♪ 私が聴いた音源 ♪





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