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...... 2019年12月06日 の日記 ......
■ 《 交響的幻想曲 》   [ NO. 2019120601-1 ] e_sy

【 交響曲 第4番 ニ短調 Op. 120 】

シューマン,ローベルト・アレクサンダー〔ドイツ〕
(1810.06.08〜1856.07.29) 46歳  精神錯乱



シューマンの初期の作品は、ほとんどがピアノ曲
だったが、30歳のときにクララと結婚してからは、
あらゆる分野の作曲を始めている。

1840年は「歌の年」、1841年は「交響曲の年」
と呼ばれるが、その年は第1交響曲を書き、
その後続いて第4番となる「第2交響曲」を書いた。

「第2交響曲」は1841年12月6日に初演されたが、
あまり評判が良くなかったため、シューマンは楽譜の
出版を見合わせ、その後に作曲した交響曲を
「第2交響曲」とした。

最初に作った「第2交響曲」は10年後に改作をして
「第4交響曲」として出版された。
最初の原稿はブラームスが保管していて、その努力により
シューマンの死後の1896年に出版された。

1853年にシューマンの家を訪れたブラームスを
クララとともに歓迎し、彼の才能を見抜いていた
シューマンは賞賛し、ブラームスの作品の出版の
労もとっていたという経緯がある。

翌年のシューマンのライン川投身自殺未遂から
2年後のシューマンの死まで、ブラームスは
シューマン家の面倒をみ、クララと親密な
交際をするようになった。

それは愛情へと燃え上がったが、ブラームスは
結婚と創作活動の両立に自信がもてなくなり、
同情的なものへと変容していった。

「第4番ニ短調」は4楽章からなるが、各楽章が
連続して演奏されることで、元来「交響的幻想曲」
という標題であった。

1841年の初稿と1853年の改訂校を比較すると、
第1楽章と第4楽章の小節の数が全く違う。
音符の長さと、拍子が変更されている。
音楽のテンポ感や雰囲気まで違っている。

1841年の楽譜は薄く書かれていて、旋律の流れが
よりクッキリと浮かび上がる。
それに対して、改訂稿では様々な旋律が書き加えられて
響きが厚くなっている。

     第1楽章 Andante con molto-Allegro di molto
     第2楽章 Romanza:Andante
     第3楽章 Scherzo:Presto
     第4楽章 Largo-Finare:Allegro vivace



    (管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
    (指揮) レナード・バーンスタイン
               ♪ 私が聴いた音源 ♪





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