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...... 2019年12月05日 の日記 ......
■ 《 ロドロン協奏曲 》   [ NO. 2019120501-1 ] e_co

【 3台のピアノのための協奏曲 第7番
            ヘ長調 K.242 】


モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス〔墺〕
(1756.01.27〜1791.12.05) 35歳



モーツァルトが世を去るころは、病気の妻と
子どもをかかえ、貧困のなかにいた。
以前は彼の無心に応じていた友人たちも、度重なる
要求には応じきれず、また貴族たちもただ一人として、
見捨てられた食うや食わずの音楽家など
かえりみようとはしなかった。
そのため、あらゆる貴重品を抵当に入れ、
たえず金貸商に行っていた。

6月に入って、歌劇「魔笛」をほぼ完成し、
保養中の妻子を迎えにバーデンに赴き、寄寓先に
教会用の小品「モテット アヴェ・ヴェルム・コルプス」を
贈っている。
7月26日には末子ヴォルフガング生まれた。

この月に、未知の男がモーツァルトを訪れ、
「レクイエム」を依頼して帰った。

8月、神聖ローマ帝国皇帝レオポルド二世が
ベーメン(ボヘミア)王も兼ねることになり、
プラハでの戴冠式のため、オペラ・セリア
「ティトウスの慈悲K.621」を依頼された。
弟子のジュースマイアの協力で、18日間で作曲し、
妻とプラハへ出かけた。

9月6日に行われた「ティトウスの慈悲」の初演は、
不成功に終わり、中旬プラハを淋しく去った。
体は、この頃いちじるしく衰えていた。

出来上がった「魔笛」を、9月30日に自らの
指揮で初演し、成功は日ごとに加わっていった。

しかし10月になって病状が悪化し、11月20日に
再起不能の床についた。
それでもなおペンをとったが12月4日、作曲していた
「レクイエム」は、8小節で途絶えてしまい、
5日午前0時55分に35年の生涯を閉じた。
翌6日、聖シュテファン教会でミサがあげられた後、
見送る者もなく、聖マルクス共同墓地に葬られた。

自分の死を決して悲しいとも、いたましいとも
思ってなかったとあるが、モーツァルトは死について
「それは全く神の摂理であり、人間は神を信頼して、
その手に生死をゆだねるべきものだ」と硬く信じていた。

「3台のピアノのための協奏曲 第7番 ヘ長調」は
1776年に作曲された。
ザルツブルクの貴族エルンスト・フォン・ロドロン伯爵の
後妻マリア・アントニア夫人と二人の娘アロイジアと
ヨゼファのために書かれ、「ロドロン協奏曲」と呼ばれる。

華やかな社交の場にふさわしい雰囲気の作品で、
献呈した3人の技量に合わせて平易に作られているが、
特にヨゼファのための第3ピアノの負担は軽くしている。

         第1楽章 Allegro
         第2楽章 Adagio
         第3楽章 Rond: Tempo di Menuetto



       (ピアノ) カティア・ラベック
       (ピアノ) マリエル・ラベック
       (ピアノ) セミヨン・ビシュコフ
       (管弦楽) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                ♪ 私が聴いた音源 ♪





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