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...... 2019年11月29日 の日記 ......
■ 《 映画音楽からの引用 》   [ NO. 2019112901-1 ] e_sy

【 交響曲 嬰ヘ長調 Op. 40 】

コルンゴルト,エーリヒ・ヴォルフガング 〔墺→米〕
(1897.05.29〜1957.11.29) 60歳



コルンゴルトは音楽評論家ユリウスの次男として、
モラヴィア地方のブリュンで生まれた。
父親から音楽の手ほどきを受け、幼いころから
作曲の才能を示し、名前がモーツァルトと同じ
ヴォルフガングということで「モーツァルトの再来」と
言われるほどの神童ぶりだった。

9歳のときに作曲した「カンタータ」は、
マーラーを唸らせたといわれている。
11歳のときに作曲したバレエ「雪人形」は、
ヴィーン宮廷歌劇場で初演された。

23歳のときに歌劇「死の都」を初演し、
オペラ作曲家としてドイツ、オーストリアで活動したが、
ユダヤ系だったことからナチスの弾圧を逃れて
1934年にアメリカに渡り、ハリウッドで映画音楽の
作曲家として成功をおさめ、アカデミー賞にも輝いた。
彼の作風は、ジョン・ウィリアムズに継承された。

戦後は映画音楽作曲の筆を絶ち、
シリアス・ミュージックの作曲家に戻るべく
新作を携えヴィーンに戻ったが、コルンゴルトの
後期ロマン派的作風は前衛音楽全盛の
音楽業界から受け入れられなかった。

失意のうちにハリウッドに戻り、1943年に
アメリカ市民権を得たが、その14年後の
11月29日にハリウッドで60年の生涯を閉じた。

「交響曲 嬰ヘ長調」は失意の時期の
1947年から52年にかけて作曲された。
この作品の公開にも苦労し,1954年の
ウィーン交響楽団による放送を通じた初演が
生前に演奏された唯一の演奏だった。

コンサートでの初演は作曲から20年を経た後で
1972年にルドルフ・ケンペの指揮により
ミュンヘンで行われた。

近代的な響きを持つ4つの楽章からなり
曲の随所に作曲者が以前書いた映画音楽からの
引用がみられる。

        第1楽章 Moderato,ma energico
        第2楽章 Scherzo : Allegro molto
        第3楽章 Adagio - Lento
        第4楽章 Finale : Allegro



         (管弦楽)ロンドン交響楽団
         (指揮) アンドレ・プレヴィン
             ♪ 私が聴いた音源 ♪




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