【 練習曲 ハ長調 作品10−7 】
ゴドフスキー,レオポルド 〔ポーランド〕 (1870.02.13〜1938.11.21) 68歳 胃癌
ポーランドの作曲家、ピアニスト、教師の ゴドフスキーは現在のリトアニアで生まれた。
ベルリン高等音楽院に入学したが、3ヶ月で 辞めてしまい、独学で勉強した。
10歳のときからコンサートピアニストとして 活動を始めた。 リストに学ぶつもりだったが亡くなってしまい、 パリへ赴き、サン=サーンスと親交を結んだ。
ピアニストとして世界中で活躍した他、 ウィーンやニューヨークなどの音楽院で ピアノの教授を務めた。 1915年以降はアメリカに移り住んだ。
1930年に脳卒中を起こし、演奏活動ができなくなり、 その後、作曲活動も止めてしまった。 81年前の11月21日に胃癌のためニューヨークで 生涯を閉じた。
作品は超絶技巧を用いたオリジナル曲の他、 バッハやシューベルトなど、多くの編曲を手がけたが、 特にショパンの「エチュードに基づいた53の練習曲」は 編曲の分野での代表作に数えられる。
その一つの「練習曲ハ長調作品10−7」のオリジナル曲は ショパンが22歳の年、1832年ごろに書かれた。 ゴドフスキーはショパンの原曲に抒情性を加え 曲の長さをおよそ3倍に拡大している。
【 パッサカリア 】
この曲の主題にはシューベルのの「交響曲第7番未完成」の 冒頭のチェロのコントラバスで演奏される 8小節の有名な旋律が使われている。
この短い主題を元に44もの変奏、その後カデンツァ→ フーガが続く。 この作品はシューベルトの没後100年にあたる 1928年に初演され、楽譜序文には 多くの作品を残した天才作曲家に心を込めて この曲を捧げると書かれている。
高度なテクニックが必要なピアノ作品の 難曲の一つとして知られるが、ゴドフスキは、 私の音楽は難しいものではないと語り、 私の手は小さいけれどちゃんと弾けるのだと、 演奏の困難性を否定するコメントを残している。
(ピアノ)マルク・アンドレ・アムラン ♪ 私が聴いた音源 ♪
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