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...... 2019年11月19日 の日記 ......
■ 《 ピアノ四重奏曲 》   [ NO. 2019111901-1 ] e_ch

【 アダージョとロンド・コンチェルタンテ
              ヘ長調 D. 487 】

    
シューベルト,フランツ・ペーター 〔墺〕
(1797.01.31〜1828.11.19) 31歳 チフス



シューベルトの生涯はあまりにも短かかった。

    1828年秋、兄の家に転居。
    10月初旬  兄と共にアイゼンシュタットのハイドンの
           墓に詣でる。
    10月31日 「赤十字」で会食したが、魚料理一切れを
           口にしたのみで後は食べられず、これが
           最後の食事に。
    11月 3日 教会で兄フェルディナントの「鎮魂歌」を
           聴いたが、その後病床につく。
    11月 4日 ゼヒターについて対位法の勉強を始めたが、
           授業はこの一回で最後となる。
    11月16日 チフスと診断。
    11月19日 午後3時31歳10ヶ月の短い生涯を終え
           永い眠りについた。
           「ここで終わりだ」と言い残し・・・

シューベルトの作品は、人の心の自然な思いが、
素直に流れ出たロマンティックな作品で、
なんの気取りもなく、あまりに純粋で、
健康的で、ひねくれたところのない音楽なので
理屈抜きに聴き手は胸にじんとくる。

「歌曲の王」と呼ばれるシューベルトは、
600曲以上の歌曲や交響曲、ピアノ曲を
作曲しているが、リートとよばれる詩と旋律が
一体となった芸術歌曲は特に有名である。

31年の短い生涯に彼の交遊は男性ばかりで
華やかな女性との話題がない。
ピアノを教えていたカロリーネ、歌手のテレーゼが
登場するが、結婚はしていない。

シューベルト組といわれる画家、詩人、劇作家、
官吏、音楽家の取り巻きが多くいて、
彼はそのうちの何人かと同居生活をしていた。

画家のシュヴィントはシューベルトが亡くなった日の
日記に「シューベルトは死んだ。われわれには
彼あってこそ楽しくもあり、美しいくもあった
ものを・・・」と書いている。

飲水からチフス菌が入り、2人の医師の
誠意あふれた治療のかいもなく、
短い生涯を終わり、永い眠りについたとある。

「アダージョとロンド・コンチェルタンテ」は
シューベルトが19歳の年の1816年に作曲した。
このころ彼は家同士で仲の良かったグローブ家の
家族との演奏のために書かれた。

シューベルトは、グローブ家の娘のテレーゼに
恋心をいだいていたが叶わなかった。

テレーゼの弟のハインリヒはピアノの演奏に
優れていたので、この曲の初演はおそらく
ハインリヒがピアノを演奏したのではないかと
いわれている。

          第1楽章 Adagio
          第2楽章 Rondo



       (ピアノ)セバスティアン・クナウアー
       (指揮) アンサンブル・レゾナンツ
              ♪ 私が聴いた音源 ♪





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