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...... 2019年11月05日 の日記 ......
■ 《皇帝協奏曲》   [ NO. 2019110501-1 ] e_co

【 ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 Op. 73「皇帝」】

ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン 〔ドイツ〕
(1770.12.17〜1827.03.26) 56歳

ギーゼキング,ヴァルター 〔ドイツ〕
(1895.11.05〜1956.10.26) 61歳



ドイツのピアニストのギーゼキングは、 124年前の
11月5日にフランスのリヨンで生まれた。
初等教育は受けず、16歳のときから
ハノーヴァーの音楽院で学んだ。

28歳のころから欧米各国で演奏活動を始めた。
第二次世界大戦中もドイツを離れなかったため
ナチ協力者としての嫌疑を受け、演奏活動が
出来ない時期があった。

戦時中の1945年1月23日、現存する
最古のステレオ録音をした曲が、
ベートーベンの「ピアノ協奏曲(皇帝)」だった。

ギーゼキングは、 ベートーベン全集の
レコーヂィング中に倒れ、手術をしたものの
51年前の10月26日にロンドンで客死した。

彼は、アマテュアの喋類研究家としても有名である。

古今のピアノ協奏曲のなかで最高の地位を占め、
大傑作である「第5番変ホ長調」は、1808年から
翌年にかけて作曲された。

「皇帝」という名称は、作曲者自身の命名ではなく、
特定の皇帝と関係づけているものではない。
作品そのものが、雄大で豪壮で華麗な効果をもった
曲想からそう呼ばれるようになった。

1809年、ウィーンはナポレオン軍の占領下に
あって、混乱し不安にみちていたが、
ベートーベンはウィーンに踏み留まり、
この壮大な曲を書き続けた。

フランスの将校とすれちがったとき、ベートーベンは
こぶしを震わせて、
「私がもし戦術のことを、対位法くらいよく知っていたら、
ものみにみせてくれよう、というところなのだが・・・」
と言ったと伝えられている。

この曲は、ベートーベンの良き理解者、援助者であり、
また弟子でもあったルドルフ大公に献じられた。

この曲の初演は、1811年11月28日に
ウィーンではなくて、ライプチヒのゲヴァントハウスで
行なわれ、好評を博したが、翌年ウィーンでの演奏会では、
評判は良くなかったようで、「第4番ト長調」と同じく
ベートーベンの存命中は、演奏されなかった。

オーケストラの最強奏による和音の間を、ピアノが
激しく駆け巡る第1楽章に始まり、第3楽章の
締めくくりで最後の力を振りしぼる独奏ピアノと
オーケストラの力強い演奏は、まさに王者を思わせる。

        第1楽章 Allegro
        第2楽章 Adagio un poco mosso
        第3楽章 Rondo: Allegro



       (ピアノ)マウリツィオ・ポリーニ
       (管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
       (指揮) カール・ベーム
                ♪ 私が聴いた音源 ♪





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