[PREV] [NEXT]
...... 2019年10月09日 の日記 ......
■ 《 母の一言》   [ NO. 2019100901-1 ] e_ch

【 チェロ・ソナタ 第1番 ハ短調 Op 32 】

サン=サーンス,シャルル・カミユ 〔仏〕
(1835.10.09〜1921.12.16)86歳 心臓病



サン=サーンスの父親の家系は、ノルマンディの
農家の出身で、ルアンの近くには
サン=サーンスという小さな町がある。

サン=サーンスは、184年前の10月9日に
パリで生まれたが、父親は生後間もなく亡くなり、
母と大伯母から教育を受けた。

大伯母はかなり優れたピアニストで、
サン=サーンスが3歳未満のころに最初の
音楽の手ほどきを行い、3歳のころには
すでにかなり正確にピアノを弾いたといわれ、
5歳で作曲を始めるという神童ぶりだった。

ピアニストとして楽壇にデビューしたのは10歳、
そのとき早くも成熟した演奏をしたといわれる。

17歳のときに、41歳のリストに会ったことは、
若いサンサーンスにとって大きな事件であった。
このときから2人の間には厚い友情が生まれ、
ピアノの巨匠から多くの影響を受けることになった。

サン=サーンスは、素晴らしい天分に恵まれた
作曲家であり、優れた技巧を持ったピアニスト、
オルガニストだったが、十九世紀フランスの
典型的な教養人の1人でもあり、
自ら詩を書き、劇作もした。

絵画、哲学、天文学などにも造詣が深く、
博学多才で多方面に活躍し、多くの名誉と
勲章を受け、86歳で世を去った。

彼は長生きをしたこともあって、
全てのジャンルにわたり数多くの作品を書いた。

彼の音楽は古典主義的基調をもち、その様式は
あらゆる大家の折衷主義のごときものだっただけに、
大衆性に富み、名演奏家としての数多くの
国外旅行の結果、国際的な大家として知られていた。

しかし、フランクやフォーレのように真にフランス的な
ユニークな特性をもたず、その後継者はいない。

チェロ・ソナタを2曲書いたが、「第2番ソナタ」は、
「チェロ協奏曲第2番」と同様にあまりよい作品ではなくて、
現在ではあまり演奏されない。

1872年に作曲した「チェロ・ソナタ 第1番」は
ヴァイオリンの作品を書いて、十分に自信をもった
サン=サーンスが初めてチェロと取り組んだ最初の
作品で、続いて書かれた「チェロ協奏曲第1番」への
準備ともなったと考えられている。

彼はこの時期、母とともにパリに住んでいたが、
新作品が出来上がる度に友人を集めては聞かせていた。

当時のサン=サーンスは、まだ作曲家としては
認められず、聴衆からも批評家からも非難され、
わずかに名ピアニスト、オルガニストとしての
彼の才能だけが評価されていた。

彼を理解する少数の友人のグループは、こうした
新作の私的発表を通じて彼を指示していた。

この第1番を作った時もこのようにして友人たちに
発表したところ、友人たちはいずれも満足したが、
皆が帰ってしまってから彼の母親は、
この作品の第3楽章の終曲は非常に悪くて、
他の部分を汚すものだとはっきり言った。

憤慨したサン=サンースはいきなり終曲の
楽譜を引き裂き、8日間部屋に閉じこもったきり、
食事のときしか現われず、しかも一言も
口をきかなかった。
こうした劇的な8日間の後、現在の終曲が
出来上がり、母も満足したという。

構成の巧みさ、終曲のりっぱな効果から、この曲は
彼の室内楽曲中の傑作とみなされている。

      第1楽章 Allegro
      第2楽章 Andante tranquilo sostenuto
      第3楽章 Allegro moderato



       (チェロ)アンディ・ドゥマルケット
       (指揮) ボリス・ベレゾフスキー
             ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: