【 チェロ・ソナタ 第1番 ハ短調 Op 32 】
サン=サーンス,シャルル・カミユ 〔仏〕 (1835.10.09〜1921.12.16)86歳 心臓病
サン=サーンスの父親の家系は、ノルマンディの 農家の出身で、ルアンの近くには サン=サーンスという小さな町がある。
サン=サーンスは、184年前の10月9日に パリで生まれたが、父親は生後間もなく亡くなり、 母と大伯母から教育を受けた。
大伯母はかなり優れたピアニストで、 サン=サーンスが3歳未満のころに最初の 音楽の手ほどきを行い、3歳のころには すでにかなり正確にピアノを弾いたといわれ、 5歳で作曲を始めるという神童ぶりだった。
ピアニストとして楽壇にデビューしたのは10歳、 そのとき早くも成熟した演奏をしたといわれる。
17歳のときに、41歳のリストに会ったことは、 若いサンサーンスにとって大きな事件であった。 このときから2人の間には厚い友情が生まれ、 ピアノの巨匠から多くの影響を受けることになった。
サン=サーンスは、素晴らしい天分に恵まれた 作曲家であり、優れた技巧を持ったピアニスト、 オルガニストだったが、十九世紀フランスの 典型的な教養人の1人でもあり、 自ら詩を書き、劇作もした。
絵画、哲学、天文学などにも造詣が深く、 博学多才で多方面に活躍し、多くの名誉と 勲章を受け、86歳で世を去った。
彼は長生きをしたこともあって、 全てのジャンルにわたり数多くの作品を書いた。
彼の音楽は古典主義的基調をもち、その様式は あらゆる大家の折衷主義のごときものだっただけに、 大衆性に富み、名演奏家としての数多くの 国外旅行の結果、国際的な大家として知られていた。
しかし、フランクやフォーレのように真にフランス的な ユニークな特性をもたず、その後継者はいない。
チェロ・ソナタを2曲書いたが、「第2番ソナタ」は、 「チェロ協奏曲第2番」と同様にあまりよい作品ではなくて、 現在ではあまり演奏されない。
1872年に作曲した「チェロ・ソナタ 第1番」は ヴァイオリンの作品を書いて、十分に自信をもった サン=サーンスが初めてチェロと取り組んだ最初の 作品で、続いて書かれた「チェロ協奏曲第1番」への 準備ともなったと考えられている。
彼はこの時期、母とともにパリに住んでいたが、 新作品が出来上がる度に友人を集めては聞かせていた。
当時のサン=サーンスは、まだ作曲家としては 認められず、聴衆からも批評家からも非難され、 わずかに名ピアニスト、オルガニストとしての 彼の才能だけが評価されていた。
彼を理解する少数の友人のグループは、こうした 新作の私的発表を通じて彼を指示していた。
この第1番を作った時もこのようにして友人たちに 発表したところ、友人たちはいずれも満足したが、 皆が帰ってしまってから彼の母親は、 この作品の第3楽章の終曲は非常に悪くて、 他の部分を汚すものだとはっきり言った。
憤慨したサン=サンースはいきなり終曲の 楽譜を引き裂き、8日間部屋に閉じこもったきり、 食事のときしか現われず、しかも一言も 口をきかなかった。 こうした劇的な8日間の後、現在の終曲が 出来上がり、母も満足したという。
構成の巧みさ、終曲のりっぱな効果から、この曲は 彼の室内楽曲中の傑作とみなされている。
第1楽章 Allegro 第2楽章 Andante tranquilo sostenuto 第3楽章 Allegro moderato
(チェロ)アンディ・ドゥマルケット (指揮) ボリス・ベレゾフスキー ♪ 私が聴いた音源 ♪
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