[PREV] [NEXT]
...... 2019年09月30日 の日記 ......
■ 《 ヴァイオリンの名手 》   [ NO. 2019093001-1 ] e_co

【 ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 Op. 77 】

ショスタコーヴィチ,ディミトリー 〔ソ連〕
(1906.09.25〜1975.08.09) 68歳 心臓病

オイストラフ,ダヴィド (ソ連)
(1908.09.30〜1974.10.24) 66歳     



二十世紀の代表的なヴァイオリニストの
オイストラフは、113年前の9月30日に
ロシア黒海沿岸のオデッサで生まれた。
5歳から父の手ほどきでヴァイオリンを始め、
その後、名教師マトリアルスキーに師事し、
6歳で公開演奏を行なった。

オデッサ音楽院入学後も同教授の指導を受け、
27歳のときにモスクワでデビューした。
数々のコンクールに優勝し、輝かしいキャリアを築き
国際的にも注目されるようになった。

1950年代に入ってからは、ソ連国外でも
演奏活動を活発に行ない、55年には日本でデビューし、
絶賛された。

強靱なテクニックに裏付けられた、豊かな音色で、
スケールの大きな演奏を繰り広げて多くのファンを
魅了した。
レパートリーは、バロックから現代まで幅広いが、
ソ連の作曲家のプロコフィエフ、ハチャトリアン、
ショスタコーヴィッチなどから作品を献呈されている。

1958年からは、指揮活動も同時に行なっていて、
多くの指揮者も育てている。
1975年に旅先のアムステルダムで急逝した。

「ヴァイオリン協奏曲作品77」は、1955年に
発表されたが、7年近く前に作られたものだった。
1948年2月の共産党による作曲家批判で、
ショスタコーヴィッチも非難を受けた。

1953年にハチャトリアンが発表した論文を
抵抗の矢が次々と放たれ、官僚主義的なものを
取り除くことを主張した。

そして、温かく迎えられる条件が整った後の1955年
10月29日にこの曲が捧げられたオイストラフの
ヴァイオリンとムラヴィンスキー指揮のレニングラード
フィルハーモニー交響楽団によって初演された。
オイストラフが47歳のときのことだった。

沈鬱な色彩とムード的抒情性をたたえた夜想曲の
第1楽章で始まるが、それぞれ独立した曲のような
楽章から作られている協奏曲である。

      第1楽章 Nocturne: Adagio
      第2楽章 Scherzo: Allegro non troppo
      第3楽章 Passacaglia: Andante
      第4楽章 Burlesca: Allegro con brio



       (ヴァイオリン) サラ・チャン
       (管弦楽) ベルリン・フィル管弦楽団
       (指揮)  サイモン・ラトル
               ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: