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...... 2019年09月13日 の日記 ......
■ 《室内楽版》   [ NO. 2019091301-1 ] e_ch

【 皇帝円舞曲 Op. 437(編曲)】

シェーンベルク,アルノルト 〔墺→米〕
(1874.09.13〜1951.07.13) 77歳



アルバン・ベルク(1885〜1935)と共に
「無調の音楽」「12音音楽」の手法を生み出し、
二十世紀の音楽に大きな影響を与えた
シェーンベルクは、145年前の9月13日に
ウィーンで生まれた。

彼は15歳で父親を失い、家計が豊かでなかった
ために十分な音楽教育を受けることが出来ず、
独学で多くのことを勉強し、20歳のときに2
歳年長のツェムリンスキーについて数カ月間、
対位法を学んだのが唯一の正規の音楽教育だった。

26歳のときに音楽の師であるツェムリンスキーの
妹のマティルデと結婚したが、49歳のときに亡くなり、
翌年、バイオリニストのルドルフ・コーリッシュの
妹のゲルトルートと再婚した。

ユダヤ人であるシェーンベルクは、
ドイツで活躍していたが、ヒットラーがユダヤ人
迫害政策を始めると、それを逃れて、1933年に
アメリカに亡命し、市民権を得、ヨーロッパに
帰ることなく、ロサンジェルスで
76年の生涯を閉じた。

シェーンベルクは、ユダヤ人としてナチスに
迫害されたときに、公然とユダヤ教に改宗して
自己の立場を明らかにしたが、このような性格は
彼の一生を貫いていて、作曲上でも
それがよく感じられる。

また、彼は音楽ばかりでなく絵の才能にも
優れていて、表現派の画家として、自画像も
残されている。

「皇帝円舞曲」は、フランツ・ヨーゼフ一世が
1848年にオーストリア皇帝に就任して
40年の祝賀記念舞踏会のために、
ヨハン・シュトラウス二世によって書かれた曲で、
50年近く後に生まれたシェーンベルクが
室内楽版に編曲している。

全く対照的な二人によって書かれた
「皇帝円舞曲」だが、ウィーンの香りがいっぱいで、
巧みに洗練された響きは、シェーンベルクの
腕の冴えを聴かせてくれる。



        (ピアノ) ルイーズ・バセット
        (四重奏) アルカン四重奏団
             ♪ 私が聴いた音源 ♪





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