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...... 2019年08月18日 の日記 ......
■ 《 ウィーン楽壇の重鎮 》   [ NO. 2019081801-1 ] v

【「戴冠式ミサ」ハ長調 K.317 】
     
モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス〔墺〕
(1756.01.27〜1791.12.05) 35歳

サリエリ,アントニオ〔伊〕
(1750.08.18〜1825.05.07) 75歳



十八世紀後半から十九世紀初頭にかけて、
ウィーン楽壇の重鎮として君臨していた
イタリアの作曲家のサリエリは、269年前の
8月18日にヴェロナ近郊で生まれた。

サリエリといえば、モーツァルトを毒殺した
(かもしれない)ということで知られているが、
ベートーベン、シューベルト、リストが師として
仰いでいたし、彼の作品は当時のウィーンでは
大いにもてはやされ、指揮者としても活躍していた。

6歳年下のモーツァルトがザルツブルクから
ウィーンにやってきたころ、サリエリはすでに
当地で絶大なる権力を誇っていた。

モーツァルトの才能がただならぬものだと
感じた彼は、自分の地位を守るため、
モーツァルトを楽壇から閉め出すよう策略を
めぐらせたといわれていて、ついにはモーツァルトを
毒殺したとも・・・しかし、事実ではなさそうだ。

「戴冠式ミサ」は1779年、モーツァルト23歳のときに
書かれたが、そのころザルツブルクの宮廷音楽家を
務めていて、このザルツブルク時代には数多くの
教会音楽を作曲している。

その中でも、「戴冠式ミサ」は特に優れた作品として
知られていて、マリア・ブライアン教会の
戴冠式の行事がとりおこなわれた1779年に
初演された。

モーツァルトの死の前年、サリエリの決定により
レオポルド二世の戴冠式で演奏されたし、死の翌年の
フランツ二世の戴冠式では、サリエリが演奏した。

「戴冠式ミサ」の名前の由来は、諸説伝えられているが、
モーツァルト自身によるものではない。

           第1曲 キリエ
           第2曲 グローリア
           第3曲 クレード
           第4曲 サンクトゥス
           第5曲 ベネディクトス
           第6曲 アニュス・デイ

規模が大きく、力強さを備えた作品で、当時の
ザルツブルクの教会音楽の、ヴィオラのパートを
欠いた楽器編成に忠実に従っている。



       (ソプラノ)シルヴィア・マクネアー
       (アルト) デローレ・スチーブラー
       (テノール)ハンスペーター・プロホビツ
       (バス)  アンドレアス・シュミット
       (オルガン)ジーグルト・グラウンツ
       (合唱)  ベルリンRIAS室内合唱団
       (管弦楽) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
       (指揮)  ジェームズ・レバイン
                 ♪ 私が聴いた音源 ♪




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