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...... 2019年08月17日 の日記 ......
■ 《 第3代プロイセン王 》   [ NO. 2019081701-1 ] e_co

【 フルート協奏曲 第3番 ハ長調 】
     
フリードリヒ大王 〔独〕
(1712.01.24〜1786.08.17) 74歳



第3代プロイセン王のフリードリヒ二世は
フルート演奏をはじめとする芸術的才能の持ち主で
ロココ的な宮廷人らしい万能ぶりを発揮した。
学問と芸術に明るく、哲学者のヴェルテールと
親密に交際し、自ら書を著し哲人王とも呼ばれ、
功績を称えてフリードリヒ大王と尊称されていた。

ドイツにジャガイモ栽培を広げたことでも
知られている。

フリードリヒ二世の父は芸術を解さなかったが、
母ゾフィーは芸術家気質で音楽も好んだ。

フリードリヒ二世は母親似でクヴァンツにフルートの
手ほどきを受けて習熟、演奏会を開くこともあった。
宮廷には当時の第一級の音楽家が集い、
大バッハの次男のカール ・フィリップ・エマヌエル・
バッハがチェンバロ奏者として仕えていて、
父の大バッハをフリードリヒ二世に紹介している。

バッハの「音楽に捧げもの」はフリードリヒ二世に
捧げられた作品で、大王が提示した主題を
旋律として作られている。

フリードリヒ二世は作曲もし、「フルート協奏曲」
「フルートのための通俗低音付きソナタ」など
膨大な作品が伝わっているが、作品目録はなく、
はっきりしたことはわからない。

「フルート協奏曲 第3番」は3楽章からなる。

          第1楽章 Allegro
          第2楽章 Grave
          第3楽章 Allegro assai

国王として精力的にプロイセンの強大化に努めた
フリードリヒ大王は、激務のために体を壊し
リウマチ、歯痛、胃痛、痔、発熱、痛風などに
苦しめられ、233前の8月17日に74歳で世を去った。

フリードリヒ二世には子供がいなかったので、
王と王妃の双方の甥にあたる
フリードリヒ・ヴィルヘルム二世が後を継いだ。



     (フルート) エマニュエル・パユ
     (チェンバロ)トレヴァー・ピノック
     (管弦楽)  カンマーアカデミー・ポツダム室内合奏団
             ♪ 私が聴いた音源 ♪





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