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...... 2019年08月12日 の日記 ......
■ 《 自由主義者 》   [ NO. 2019081201-1 ] e_or

【 セルビアのコロ舞曲 】

ヤナーチェク,レオシュ〔チェコ〕
(1854.07.03〜1928.08.12) 74歳



チェコの野性的作曲家であるヤナーチェクは、
モラヴィアのフクヴァルディで貧乏教員の
10番目の子どもとして生まれた。

学生時代の大部分を苦学しながら過ごし、
人生の盛りを教育に捧げながら、創作活動をした。

1879年に王立師範学校長エミリアン・シュルツの
勧めでライプツィヒの音楽院に入学し、この時
シュルツの娘のズデンカ・シュルゾヴァーと知り合い、
1881年に結婚し、娘のオルガが誕生した。

しかし、夫婦関係は不安定だった。
後に長男のヴラディミールも生まれたものの、
2歳で亡くなり、結婚生活は事実上破綻した。

1817年の夏に、ヤナーチェクは二人の子供を持つ
38歳年下の既婚女性カミラ・シュテスロヴァーと
出会い、魅了され、彼女の存在は晩年の活動に
多大な影響を与えている。

91年前の8月12日に肺炎のため、オストラヴァで
74年の生涯を閉じたが、死の直前にカミラに有利な
内容の遺言に書き換えていたため、妻のズデンカと
カミラは激しく対立することとなった。

彼が生まれたモラヴィアは、古くからの民族文化が
残っていて、民謡には独特の教会旋法や変則的な
拍子が出てくるが、それらの民謡を徹底的に研究し、
自分の作品の中に取り入れた。

さらに彼は、街の物音や鳥の声、人々が話す会話を
独自のやり方で音符化していたといわれている。

ヤナーチェクはロシア音楽への親近性をもっていて、
ムソルグスキーの影響を受けていることから
「チェコのムソルグスキー」といわれるが、
ムソルグスキーよりはもっと主観的な感情家で、
徹底的な自由主義者だった。
たとえ、悲観的なテーマを扱っても、必ず最後には
救いがあり、生命肯定の芽生えになっていた。

「セルビアのコロ舞曲」はモラヴィアの都市
ブルノ(ブリュン)で行われた、ある会館設立の
記念行事のために1899年ごろ作曲された。



    (管弦楽)ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団
    (指揮) フランティシェク・イーレク
               ♪ 私が聴いた音源 ♪





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