【 イスラエル交響曲 】
ブロッホ,エルネスト 〔スイス→米〕 (1880.07.24〜1959.07.15) 78歳 癌
ユダヤ人作曲家として知られるブロッホは、 生地のジュネーブで音楽を学んでいたが、 15歳のころから、交響曲を作曲していた。 ブロッホの初期の作品は新ドイツ楽派の リヒャルト・シュトラウスや、フランス印象主義音楽の ドビュッシーの両方から影響をしめしている。
23歳でパリに行き、歌曲集「たそがれの物語」で 作曲家として認められるようになった。 6年後にはスイスに帰り、指揮者として活躍したが、 このころから、作風に強くユダヤ民族的な特色を 打ち出すようになった。
成熟期の作品はユダヤ教の典礼音楽や、 ユダヤ人の民族音楽を拠り所としている。 この種の作品としてもっとも知られているのが、 1916年に書いたチェロと管弦楽のための ヘブライ狂詩曲「シェロモ(ソロモン)」で、 「イスラエル交響曲」の後の作品である。
36歳のときにアメリカ合衆国に招かれて、 演奏会で自作を指揮したのをきっかけに、 そのまま永住して各地の音楽学校で教えながら 作曲活動を続けた。
50歳になってからは再びスイスに住み、 山村に引きこもっていたが、ファシズムの 反ユダヤ人政策が激しくなり、8年後に アメリカに戻った。 その後は強いユダヤ的個性を示した作品を書いた。
彼がアメリカ現代音楽に与えた影響は大きく、 それもユダヤ人作曲家のユダヤ主義を 促すことになった。
第1期
葬送交響曲(1895) 東洋的交響曲(1896) 交響曲嬰ハ短調(1901−1902)
第2期
イスラエル交響曲(1912ー1916)
第3期
シンフォニア・プレヴュー(1963) トロンボーン交響曲(1953−1954) 交響曲変ホ長調(1954−1955)
3楽章形式になっている「イスラエル交響曲」は 5人{ソプラノ2,アルト2,バス}の独唱を伴い、 標題のイスラエルは、ロマン・ロランの助言による。
1917年5月3日にニューヨークのカーネギー・ホールで、 ブロッホの指揮で初演された。
第1楽章 Lent et solennel 第2楽章 Allegro agitato〔贖罪の日〕 第3楽章 Moderato (andante grazioso)〔仮庵の祭〕
(管弦楽)ロシア国立交響楽団 (指揮) エフゲニー・スヴェトラーノフ ♪ 私が聴いた音源 ♪
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