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...... 2019年07月14日 の日記 ......
■ 《 尋常小学読本唱歌 》   [ NO. 2019071401-1 ] v

【 われは海の子 】

文部省唱歌



1910年(明治43年)7月14日に
「尋常小学読本唱歌(文部省唱歌)」が刊行された。
これは、当時の小学校(尋常小学校)の
教科書として文部省が制定した唱歌集だった。

この本の中では、作曲者名はあげず、
ただ「文部省著作」と記されていたので
「文部省唱歌」と呼ばれるようになった。

翌年には学年別に編集された「尋常小学唱歌」の
刊行が始まり、昭和7年にはそれらを全面改訂した
「新訂尋常小学唱歌」となって、昭和16年に
小学校が国民学校に変わるまで長く授業で使われた。

その中には、「われは海の子」「春が来た」
「春の小川」などがある。

唱歌という言葉は、明治5年に学制発布されたとき、
小学校の授業の1科目として「唱歌科」が
設けられたことから、「唱歌」という言葉が出来た。

それ以後、学校の音楽の授業を「唱歌」と
呼ぶようになり、授業で使われる歌曲集も
「唱歌」と呼ばれるようになった。

「文部省唱歌」が制定される前には、
「小学唱歌集」「エホンショウカ」「児童唱歌」など
民間発行の唱歌集が使用されていた。



われは海の子

我は海の子 白浪の
さわぐいそべの 松原に
煙たなびく とまやこそ

我がなつかしき 住家なれ
生れてしおに 浴して
浪を子守の 歌と聞き
千里寄せくる 海の気を

吸いてわらべと なりにけり
高く鼻つく いその香に
不断の花の かおりあり
なぎさの松に 吹く風を
いみじき楽と 我は聞く

丈余のろかい 操りて
行手定めぬ 浪まくら
百尋千尋の 海の底
遊びなれたる 庭広し

幾年ここに きたえたる
鉄より堅き かいなあり
吹く塩風に 黒みたる
はだは赤銅 さながらに

浪にただよう 氷山も
来らば来れ 恐れんや
海まき上ぐる たつまきも
起らば起れ 驚かじ

いで大船に 乗出して
我は拾わん 海の富
いで軍艦に 乗組みて
我は護らん 海の国

「われは海の子」は作詞作曲者は不祥と
かれていたりするが、作詞者は児童文学者の
宮原晃一郎(1882.09.02〜1945.06.10)で、
故郷の櫻島を思い浮かべて作詞したといわれている。





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