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...... 2019年07月13日 の日記 ......
■ 《 過渡期の作品 》   [ NO. 2019071301-1 ] e_ch

【 弦楽四重奏曲 第2番 嬰へ短調 Op. 10 】

シェーンベルク,アルノルト 〔墺→米〕
(1874.09.13〜1951.07.13) 76歳



現代音楽における最大の作曲家の1人の
シェーンベルクは、ユダヤ人の両親のもと
ウィーンで生まれ、キリスト教徒として育てられた。

15歳で父を失い、家計が豊かでなかったために
十分な音楽教育を受けることが出来なかった。
独学で多くのことを覚え、20歳のときに
2歳年長のツェムリンスキーについて数カ月間、
対位法のレッスンを受けたのが唯一の
正規の音楽教育であった。

彼は26歳のときに音楽の師である
ツェムリンスキーの妹マティルデと結婚したが、
49歳のときに妻は亡くなり翌年、著名な演奏家
ルードルフ・コーリッシュの妹の
ゲルトルートと再婚した。

シェーンベルクは、ユダヤ人としてナチスに
迫害されたときに、公然とユダヤ教に改宗して
自己の立場を明らかにしたが、このような
性格は彼の一生を貫いていて、作曲上でも
それがよく感じられる。

ナチス政権後、進歩的な芸術家を
圧迫し始めたため、シェーンベルクは、
ヨーロッパからアメリカに亡命し、市民権を得て
以後アメリカでの活躍が始まった。

68年前の7月13日に喘息発作のため
ロサンゼルスで76年の生涯を閉じた。
彼は亡命後、ヨーロッパに帰ることはなかった。

無調の音楽、12音技法の創始によって
現代音楽の進路に決定的な方向を示し、
ヴェーベルンやベルクなど多く優れた弟子を育て、
二十世紀の音楽に大きな影響を与えた。

シェーンベルクは4曲の弦楽四重奏曲を書いた。

        第1番 ニ短調 作品 7(1905年)
        第2番 嬰へ短調 作品10(1908年)
        第3番 作品30(1926年)
        第4番 作品37(1936年)

1908年に完成された「弦楽四重奏曲 第2番」は、
彼が従来の後期ロマン派的な第1期と
調性放棄を行った第2期との境目に書いた作品で
第4楽章にはすでに無調的な部分が現れている。

4楽章からなるが、第3楽章にシュテファン・ゲオルゲの
詩「連祷」、第4楽章にゲオルゲの詩「忘我」による
ソプラノ独唱が加わっていて、室内楽と歌曲とを
結合した新しい試みがされている。

          第1楽章 Massig
          第2楽章 Sehr rasch
          第3楽章 Litanei
          第4楽章 Entruckung



      (ソプラノ)クリスティーネ・シェーファー
      (演奏)  ペーターゼン四重奏団
               ♪ 私が聴いた音源 ♪





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