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...... 2019年07月01日 の日記 ......
■ 《 パロディ化 》   [ NO. 2019070101-1 ] s

【 官僚的なソナチネ 】

サティ,エリック 〔仏〕
(1866.05.17〜1925.07.01) 59歳 肋膜炎〜衰弱



サティは、オンフルールで海運業をしていた父と、
スコットランド人の母との間に生まれた。
幼児に生地で聖堂オルガニストのヴィーノからピアノと
グレゴリオ聖歌、それと神秘思想の手ほどきを受け、
また変わり者の叔父から性格的に感化を受けた。

母の死後、父方の祖父母に預けられたが、
12歳のときに祖母が亡くなり、父の居るパリに移った。
後に、父はピアノ教師と再婚した

その年にパリ国立音楽院に入学したものの、
アカデミックな音楽に反感を持ち読書に没頭した。
ことにアンデルセンの童話を愛し、
ゴシック建築・グレゴリオ聖歌を研究した。

砲兵隊に入隊したが、故意に気管支炎にかかり除隊。
モンマルトルのカフェでピアノをひいて生計をたてて
いたが、「薔薇十字教団」に関心をもち入団した。
やがて自分の架空の宗団「指導者イエスの芸術の
首都教会」を設立し、機関紙を発行して、
気にいらぬ者を猛攻撃した。
無名にも関わらず3回学士院会員に立候補したが、
もちろん拒否された。

ドヴュッシーが印象主義で近代音楽の先駆者と
なったのに対し、サティはそれよりも一層新しい
近代音楽である新古典主義音楽の先駆者だった。

第一次大戦の直後に現われて、めざましい音楽活動を
展開したフランスの六人組(プーランク、ミヨー、
オネゲル、オーリック、デュレ、タイユフェール)の
芸術は、サティーを精神的な父とし、彼の支持、擁護、
激励によって成長し、開花した。

サティーは、シンプルなものが健康であると
考えていたが、単純だけを意味するものではなくて、
純一、簡潔、簡素、素直、無邪気、天真爛漫、純朴、
平易、人の良さなどを含んでいる。

若い音楽家たちからは指導者として尊敬されたが、
彼はそれを嫌い、晩年は寂しい日々をおくり
作品も忘れられていった。
肝臓が悪くなり日々痩せていき、肋膜炎が悪化して、
94年前の7月1日に聖ジョゼフ病院で、
貧しく世を去った。
彼の音楽が見直されたのは、死後50年くらい
経ってからのことだった。

1917年、51歳のときに作曲されたピアノ曲の
「官僚的なソナチネ」は、彼の作品の中では特異なもので、
クレメンティの「ソナチネ作品36の1」の第3楽章を
パロディ化して、サラリーマン役人の一日を描いている。

彼は出発した。
彼は陽気に訳書へ行く
満足して、彼は頭を振る。
彼はとても優雅な美しい夫人が好きである。
彼はまた、自分のペン軸も緑の木綿地の袖も
中国風の円帽も好きである。
彼は大股で歩く;
階段に駆け付けて飛び乗る。
すごい突風!
肘掛け椅子に坐った彼は、幸せな気持ちになり、
自らを発揮する。
彼は昇進のことを考える。
昇進するまでもなく、たぶん昇給になるだろう。
彼は次の給料日に引っ越すつもりだ。
彼はあるアパートに目をつけている。
昇進するか昇給するといいのだが!
昇進のことを再び考えはじめる。
彼は、低地ブルターニュの聾唖者の家で習った、
ペルーの古い歌を口ずさむ。
隣にピアノがクレメンティを演奏している。
なんて哀しいんだろう。
彼は思い切ってワルツを踊る!(彼はピアノを弾かない)
何もかもがとてもわびしい。
ピアノが再び演奏を始める。
われらが友人は、優しく自問する。
ペルーの醒めた歌が、再び頭に浮かんでくる。
ピアノは演奏を続ける。
ああ、役所をやめなければならない、この居心地のいい役所を。
勇気をもって;出ていこう、と彼は言う。

         第1楽章 Allegro
         第2楽章 Andante
         第3楽章 Vivace



        (ピアノ)パスカル・ロジェ
           ♪ 私が聴いた音源 ♪





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