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...... 2019年06月30日 の日記 ......
■ 《 名曲 》   [ NO. 2019063001-1 ] v

【 歌曲「 小諸なる古城のほとり」】

弘田 龍太郎 〔日〕
(1892.06.30〜1952.11.17) 60歳   



多くの 親しみやすい童謡を作曲した弘田龍太郎は、
明治25年6月30日に、教育者の父親と一弦琴の
名手だった母親のもと、高知県安芸市で生まれた。
子供と音楽を愛し、昭和27年11月17日に東京
本郷の自宅で60年の生涯を閉じた。

三重県津市で過ごした中学生時代には、すでに
音楽的才能を発揮し、後に東京音楽学校で学んだ。
在学中に「七つの子」の作曲家、本居長与に師事し、
童謡の作曲に手掛けるようになった。
卒業後は児童文学雑誌『赤い鳥』に協力した。

「叱られて」「雀の学校」「靴が鳴る」
(清水かつら作詞)「春よ来い」(相馬御風作詞)など、
数々の代表作を作曲したのは、20代後半から
30代前半のことで、詞の内容や感情を生かした
素朴で柔らかい曲想はいつまでも広く愛されている。

昭和3年にベルリンに留学しピアノと作曲を学んだ。
帰国後、母校の教授に任命されたが、
作曲活動に専念するために、二カ月で退職した。

作曲のかたわら、NHKラジオの子供番組や
児童合唱団を指導したが、晩年は幼児教育に
力を注ぎ、リズム遊びなどの指導にあたった。
オペラや歌曲、仏教音楽、舞踏曲なども残している。

歌曲「小諸なる古城のほとり」は、明治38年に
発行された島崎藤村の詩集「落梅集」の
冒頭に収められた同名の詩が用いられている。

29歳の時に小諸城址の懐古園で詠んだ
旅愁の詩で、大正14年8月に弘田が作曲した。

NHKのTV番組の名曲アルバムなどでも
度々放送されたが、今日でも多くの人達に
愛される名曲となっている。



小諸なる古城のほとり

小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ
緑なす はこべは萌えず
若草も 籍くによしなし
しろがねの 衾の岡辺
日に溶けて 淡雪流る

あたたかき 光はあれど
野に満つる 香も知らず
浅くのみ 春は霞みて
麦の色 わずかに青し
旅人の 群はいくつか
畠中の 道を急ぎぬ

暮行けば 浅間も見えず
歌哀し 佐久の草笛
千曲川 いざよう波の
岸近き 宿にのぼりつ
濁り酒 濁れる飲みて
草枕 しばし慰む

島崎藤村 作詞・弘田龍太郎 作曲





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