【 交響曲 第1番 ハ長調 作品19 J.50 】
ウェーバー,カルル・マリア・フォン 〔独〕 (1786.11.18〜1826. 06.05) 39歳 結核
ウェーバーは座骨を患い、4歳になるまで歩行が できなかったが、晩年も胸と喉頭の結核に冒されて、 医師から静養を命じられていた。
しかし、 ドレスデン歌劇場の指揮者に迎えられた 31歳のときに結婚したオペラ歌手のカロリーネとの 生活は、豊かなものではなかったため、長年 貧乏を味わってきた彼の家族に対する思いやりから、 無理を承知でロンドンでの演奏会の指揮をした。
その後病状は悪化し、この初演後二ヶ月足らずの 6月5日に異郷で不帰の客となった。
遺骸は18年後に息子マックスに守られ、 彼の芸術的な意志を継いだワーグナーの力添えで、 祖国に永遠の安らぎを得ることができた。
ウェーバーが活躍した19世紀初めごろは、 オペラといえばイタリア語で歌うものという 考えが一般的だった。
しかし、ウェーバーは「魔弾の射手」など、 ドイツ語によるオペラを成功させ、 ドイツ国民主義オペラの世界を確立させた。
オペラの他にも多くの協奏曲やピアノ曲、 声楽曲などを作曲しているが、交響曲は 「第1番」と「第2番」の2曲しか残していない。
2曲はいずれも、20歳の年の1806年の秋から 翌年の冬を過ごしたドイツ南西部の町の カールスルーエで作曲した。
当時この地を治めていたフリードリヒ・オイゲン・ フォン・ヴェルテルベルク公爵は 大変な音楽愛好家で小規模ながらも 優秀な宮廷オーケストラを持っていた。
ウェーバーは指揮者を務めていて、 そのオーケストラために書かれた。
ウェーバーのオペラ作曲家としての特徴が、 第2楽章のアンダンテのロマンティックな 雰囲気の中によく現れている。
第1楽章 Allegro con Fuoco 第2楽章 Andante 第3楽章 Scherzo: Prest - Trio 第4楽章 Finale: Presto
(管弦楽)アカデミー室内管弦楽団 (指揮) ネヴィル・マリナー ♪ 私が聴いた音源 ♪
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