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...... 2019年06月06日 の日記 ......
■ 《 バレエ音楽 》   [ NO. 2019060601-1 ] e_or

【 バレエ組曲「スパルタクス」】

ハチャトゥリアン,アラム・イリイチ〔露〕
(1903.06.06〜1978.05.01) 75歳



現代ソ連音楽を代表するハチャトゥリアンは、
110年前の6月6日(グレゴリオ暦)に
グルジアの首都トレビシで生まれた。

両親はアルメニア人で、彼が生まれる少し前に
アゼルバイジャンから移住してきたばかりで、
製本屋をしていた。

19歳のときににグネシン音楽専門学校に入るまで、
正規の音楽教育は何も受けてなかったが、
外コーカサス地方の様々な民族音楽に親しむ
機会は多くあり、彼の音楽性を考える上で、
これらの民族の要素は重要な意味をもっている。
音楽学校では初めにチェロを、ついで作曲を学んだ。

ハチャトゥリアンの音楽活動の初期には、ラヴェルや
ストラヴィンスキーに傾倒したが、それは民族性や
土俗性の消化の仕方への興味からだった。
大家からの刺激によって、彼の生国とアルメニア人の
民族的・種族的伝統を再現することに心をそそいだ。

彼はアルメニア人作曲家として、アルメニアをはじめ、
カフカス、中央アジアなどのソ連の非ヨーロッパ民族の
民族音楽を素材とし、リズム感にあふれた生命力のある
作品を書いた点で、特筆されるべき作曲家である。

「アルメニア共和国国歌」は、
ハチャトゥリアンが作曲している。

1933年にフランス印象派のスタイルをもっている、
女流作曲家のマカロワと結婚したが、彼女の師であった
モスクワ音楽院のミャスコフスキーは、
ハチャトゥリアンの師でもあった。

1948年の共産党による作曲家批判の対象になり、
それ以後は、バレ−音楽以外は重要な作品を残していない。

1954年51歳の時の作品の「スパルタクス」は、
共和制ローマの末期、紀元前73年から71年に起こった
奴隷の反乱という史実に基づく物語で、
反乱の指導者のスパルタクスを描いている。

1955年に、バレエで用いられた楽曲を抜粋・編曲し、
3つのオーケストラ組曲を製作した。

    第2番 第1曲-スパルタクスとフリーギアのアダージョ
    第3番 第2曲-ギリシャの奴隷の踊り
    第3番 第3曲-エジプトの乙女の踊り
    第1番 第2曲-序奏、エギナとハーモディアスのアダージョ
    第1番 第3曲-エギナのヴァリエーションとバッカナール
    第1番 第4曲-情景と小シンバルを手にした踊り
    第1番 第5曲-ガディスの娘の踊りとスパルタクスの勝利



        (管弦楽)ボリショイ交響楽団
        (指揮) アレクサンドル・ラザレフ
              ♪ 私が聴いた音源 ♪





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