【 バレエ組曲「スパルタクス」】
ハチャトゥリアン,アラム・イリイチ〔露〕 (1903.06.06〜1978.05.01) 75歳
現代ソ連音楽を代表するハチャトゥリアンは、 110年前の6月6日(グレゴリオ暦)に グルジアの首都トレビシで生まれた。
両親はアルメニア人で、彼が生まれる少し前に アゼルバイジャンから移住してきたばかりで、 製本屋をしていた。
19歳のときににグネシン音楽専門学校に入るまで、 正規の音楽教育は何も受けてなかったが、 外コーカサス地方の様々な民族音楽に親しむ 機会は多くあり、彼の音楽性を考える上で、 これらの民族の要素は重要な意味をもっている。 音楽学校では初めにチェロを、ついで作曲を学んだ。
ハチャトゥリアンの音楽活動の初期には、ラヴェルや ストラヴィンスキーに傾倒したが、それは民族性や 土俗性の消化の仕方への興味からだった。 大家からの刺激によって、彼の生国とアルメニア人の 民族的・種族的伝統を再現することに心をそそいだ。
彼はアルメニア人作曲家として、アルメニアをはじめ、 カフカス、中央アジアなどのソ連の非ヨーロッパ民族の 民族音楽を素材とし、リズム感にあふれた生命力のある 作品を書いた点で、特筆されるべき作曲家である。
「アルメニア共和国国歌」は、 ハチャトゥリアンが作曲している。
1933年にフランス印象派のスタイルをもっている、 女流作曲家のマカロワと結婚したが、彼女の師であった モスクワ音楽院のミャスコフスキーは、 ハチャトゥリアンの師でもあった。
1948年の共産党による作曲家批判の対象になり、 それ以後は、バレ−音楽以外は重要な作品を残していない。
1954年51歳の時の作品の「スパルタクス」は、 共和制ローマの末期、紀元前73年から71年に起こった 奴隷の反乱という史実に基づく物語で、 反乱の指導者のスパルタクスを描いている。
1955年に、バレエで用いられた楽曲を抜粋・編曲し、 3つのオーケストラ組曲を製作した。
第2番 第1曲-スパルタクスとフリーギアのアダージョ 第3番 第2曲-ギリシャの奴隷の踊り 第3番 第3曲-エジプトの乙女の踊り 第1番 第2曲-序奏、エギナとハーモディアスのアダージョ 第1番 第3曲-エギナのヴァリエーションとバッカナール 第1番 第4曲-情景と小シンバルを手にした踊り 第1番 第5曲-ガディスの娘の踊りとスパルタクスの勝利
(管弦楽)ボリショイ交響楽団 (指揮) アレクサンドル・ラザレフ ♪ 私が聴いた音源 ♪
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