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...... 2019年03月24日 の日記 ......
■ 《 悲劇 》   [ NO. 2019032401-1 ] e_ch

【 ピアノ三重奏曲 イ短調 Op. 50 】
        
グラナドス,イ・カンピニャ・エンリケ 〔西〕
(1867.01.27〜1916.03.24) 48歳



グラナドスの父は軍人であったが、彼は幼年期より
楽才を示し、バルセロナとパリで作曲とピアノを学び、
ピアニストとして、演奏活動をしながら
オペラやピアノ曲を作曲した。

7歳年下のアルベニスとならんでスペイン独自の
音楽を確立したスペイン国民主義の重要な
作曲家で、作風はロマン的で素朴で感傷的であるが、
スペイン音楽の近代への門を開くという大きな
功績を残した。
自ら「アカデミア・グラナドス」という音楽学校を
設立して、人々に敬愛されていた。

アルベニスが南部系のアンダルシア民族音楽を、
生々しい泥臭い味で取扱っているのに対し、
方系のグラナドスは北部の民謡が主となり、
しかもその取り扱い方は洗練され、消化されていて、
ファリャに通じるところがあって、パリで
ドヴュッシーなどの印象主義の傾向も受けている。
(二人はギターのための作品は1曲も書かなかった)

第一次世界大戦のさなかの1916年に、
ピアノ組曲「ゴエスカス」を改作したオペラが、
ニューヨークのメポロポリタン歌劇場で 初演された。
その初演に立ち会うために妻とともに渡米し、
初演は大成功だったが、その帰途乗船していた
サセックス号がイギリス海峡
でドイツUボート(潜水艦)に撃沈された。

グラナドスは運良く救命ボートに救いあげられたのだが、
愛する妻が波間でもがく姿を見て再び海に飛び込み、
共演者らと共に海底深くで溺死をするという
劇的な最期を迎えてしまった。
それは、103年前の3月24日のことだった。

1890年23歳の年に最初のピアノリサイタルを
バルセロナで開き、大成功をおさめた。
これに自信を得たグラナドスは、その後
ヴァイオリン奏者のイザイやチェロ奏者のカザルスなど、
歴史に名を残す名演奏家たちと度々競演した。

一方弦楽アンサンブルといっしょに、室内楽の
世界でもピアノニストとして活躍した。
1894年に作曲したのが「ピアノ三重奏曲 イ短調」で、
翌年に、バルセロナ初演されたが、このときに
チェロのパートを演奏したのが、当時18歳だった
若き日のパブロ・カザルスだった。

      第1楽章 Poco Allegro con espressione
      第2楽章 Scherzetto
      第3楽章 Duetto
      第4楽章 Finale



        (三重奏)ボーザール三重奏団
            ♪ 私が聴いた音源 ♪





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