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...... 2019年03月21日 の日記 ......
■ 《 ヴィオラ・ボンボーザ 》   [ NO. 2019032101-1 ] s

【 無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012 】

バッハ,ヨハン・セバスティアン 〔独〕
(1685.03.21〜1750.07.28) 65歳



バッハはドイツのテューリンゲン地方の西端、
ルターの聖書訳で知られるヴァルトブルクの古城を
仰ぎ見るところにある、アイゼナッハという、
人口5,6万の小さな町で生まれた。

3月23日に、この町の聖ゲオルク教会で洗礼を
受けているので、生まれたのはその2日前の
3月21日だろう言われているが、
正確なことは判らない。

幼い時から父や兄に音楽を学んでいたが、
9歳で母が10歳で父が死去し、兄に引き取られた。
23歳で宮廷オルガニストになったころは、
オルガニストとしての名声はますます高まっていった。

65歳で亡くなるまでに無数の名曲をのこし、
ヘンデルとともにバロック音楽の最後を飾り、
音楽史最大の音楽家の1人となった。

バッハ家は、ヨハン・セバスティアン・バッハから
四代前の十六世紀末から、息子たちの世代である
十八世紀の末にいたるまで、200年にわたり
50人以上の音楽家を輩出している。

「バッハの生涯はまことに平凡である。
同年のヘンデルがヨーロッパを股にかけて活躍し、
その生涯が波瀾に富んでいるのに対して、
バッハは一生の間ドイツから足を踏み出したことがなく、
その生活は典型的な中流市民のそれであった。
モーツァルトのように彼の神童ぶりを伝える逸話もなく、
ベートーベンの生涯を貫く、劇的な精神の葛藤もない。
ショパンやリストの生涯を彩る華やかな女性関係もない。
あるのはただ、ひたすらに自らの職務を全うし、
つつましい家庭生活を愛した平凡な職業音楽家の
姿なのである。
そのような平凡な生活から、あのような非凡な音楽が
生まれたことこそが、むしろ奇跡のようにさえ思える。」
(バッハについて書かれている文から)

その時代のドイツの音楽家は、都市、宮廷、教会という、
そのいずれかに雇われて、それぞれの職場が要求する
音楽を提供する以外には生活ができなかった。

彼は、22歳のときに又従姉妹のマリア・バルバラと
結婚し、7人の子ども(3人は死亡)に恵まれ、
長男と次男は優れた作曲家となった。
マリーアは良妻賢母であったが、長男が12歳のときに
病死してしまう。

しかし、翌年16歳年下のソプラノ歌手の
アンナ・マグダレーナと再婚し、彼女は13人の
子どもを生み、夫を心から敬愛し、良き伴侶として
平和な家庭を築いた。
バッハは愛する妻や子どももために、
数多くの家庭音楽を作曲している。

バッハは、ケーテンの時代(1717年~)の
32歳から6年間に6曲のチェロ組曲を書いた。

第6番は、バッハが自ら考案した五弦の楽器の
ヴィオラ・ポンポーザのための楽曲となっている。
ヴィオロンチェロ・ピッコロともいったようである。

現在は使われてなくて、四弦のチェロで演奏する。

6曲の中で、技巧的にも、構成された内容の大きさ
豊かさからしても、大規模な作品である。

     第1曲 前奏曲              
     第2曲 アルマンド(ドイツ風の舞曲)   
     第3曲 クーラント(フランスの古い舞踊曲)
     第4曲 サラバンド(スペインの古い舞曲) 
     第5曲 ガヴォット(フランスの古典舞曲) 
     第6曲 ジーグ (イギリスの舞曲)    



    (チェロ)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
              ♪ 私が聴いた音源 ♪





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