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...... 2015年01月04日 の日記 ......
■ 《 舞曲のシューベルト 》   [ NO. 2015010401-1 ] e_or

【 ポルカ「ウィーンの生活」作品218 】
 
ヨーゼフ・シュトラウス〔墺〕
(1827.08.22〜1870.07.21) 42歳 
    

      
1867年の謝肉祭で「ウィーンとパリの生活」と
題した大仮面舞踏会が開催された。
3つのホールで別々の舞踏会が開かれ、
ヨーゼフはその中の「ウィーンの生活」舞踏会で
指揮者として、この曲を初演した。

【 ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164 】

ヨーゼフはウィーンで「舞曲のシューベルト」と
呼ばれていたが、彼の音楽の源泉は
シューベルトにあり、この「オーストリアの村つばめ」も、
ウィーン情緒を豊かに讃えた、シューベルト風の
旋律を5種類用いたワルツで、村つばめが訪れる
初夏の爽やかな自然が表現されている。

* * * * * *

ヨハン・シュトラウス一世の次男のヨーゼフは、
ウィーンで生まれた。
おとなしい性格で、音楽も好きだったが、
父の意志に従って建築技師となり、仕事の余暇には
発明に没頭して、特許を申請したりしていた。

26歳のときに兄のヨハンが過労で倒れ、
代理指揮者として舞台に立つようになり、
その後、本格的に作曲の勉強を始めた。
詩、絵画には深い造詣を持ち、
後に作曲に生かされている。

兄のヨハンは陽気でおしゃれで、短気で
行動的だったが、ヨーゼフは静かで、内気で、
無口で、兄とは全く対照的な性格だった。 
音楽的才能は非常に豊かで、ヨーゼフの
指揮は好評で、特に女性たちから支持されていた。

ピアノの小品と舞踏音楽に専心し、280曲以上もの
作品を作曲しているが、兄とは違い社交的でなく
孤独を愛する性格だったせいか、
短調の作品が多い。

神経質なヨーゼフは、突然の母の死で
ひどいショックをうけ、気がすすまないワルシャワでの
演奏会の指揮をしているときに指揮台から
転がり落ち、後頭部を強打して失神した。

妻とヨハンがかけつけてウィーンに運んだが、
これが結局彼の命取りとなり、脳卒中で世を去った。

長生きをすれば、兄以上にすばらしい作曲家に



      1/1 ヨハン・シュトラウス一世
      1/2 スッペ,フランツ・フォン
         ロンビ,ハンス・クリスチャン
      1/3 ヨハン・シュトラウス二世(長男)
      1/4 ヨーゼフ・シュトラウス(次男)
      1/5 エドゥアルト・シュトラウス(3男)




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