【 ポルカ「ウィーンの生活」作品218 】 ヨーゼフ・シュトラウス〔墺〕 (1827.08.22〜1870.07.21) 42歳
1867年の謝肉祭で「ウィーンとパリの生活」と 題した大仮面舞踏会が開催された。 3つのホールで別々の舞踏会が開かれ、 ヨーゼフはその中の「ウィーンの生活」舞踏会で 指揮者として、この曲を初演した。
【 ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164 】
ヨーゼフはウィーンで「舞曲のシューベルト」と 呼ばれていたが、彼の音楽の源泉は シューベルトにあり、この「オーストリアの村つばめ」も、 ウィーン情緒を豊かに讃えた、シューベルト風の 旋律を5種類用いたワルツで、村つばめが訪れる 初夏の爽やかな自然が表現されている。
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ヨハン・シュトラウス一世の次男のヨーゼフは、 ウィーンで生まれた。 おとなしい性格で、音楽も好きだったが、 父の意志に従って建築技師となり、仕事の余暇には 発明に没頭して、特許を申請したりしていた。
26歳のときに兄のヨハンが過労で倒れ、 代理指揮者として舞台に立つようになり、 その後、本格的に作曲の勉強を始めた。 詩、絵画には深い造詣を持ち、 後に作曲に生かされている。
兄のヨハンは陽気でおしゃれで、短気で 行動的だったが、ヨーゼフは静かで、内気で、 無口で、兄とは全く対照的な性格だった。 音楽的才能は非常に豊かで、ヨーゼフの 指揮は好評で、特に女性たちから支持されていた。
ピアノの小品と舞踏音楽に専心し、280曲以上もの 作品を作曲しているが、兄とは違い社交的でなく 孤独を愛する性格だったせいか、 短調の作品が多い。
神経質なヨーゼフは、突然の母の死で ひどいショックをうけ、気がすすまないワルシャワでの 演奏会の指揮をしているときに指揮台から 転がり落ち、後頭部を強打して失神した。
妻とヨハンがかけつけてウィーンに運んだが、 これが結局彼の命取りとなり、脳卒中で世を去った。
長生きをすれば、兄以上にすばらしい作曲家に
1/1 ヨハン・シュトラウス一世 1/2 スッペ,フランツ・フォン ロンビ,ハンス・クリスチャン 1/3 ヨハン・シュトラウス二世(長男) 1/4 ヨーゼフ・シュトラウス(次男) 1/5 エドゥアルト・シュトラウス(3男)
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