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...... 2015年01月03日 の日記 ......
■ 《 ワルツ王 》   [ NO. 2015010301-1 ] e_or

【 ワルツ「東洋の物語」作品444 】
   
ヨハン・シュトラウス二世 〔墺〕
(1825.10.25〜1899.06.03) 73歳  肺炎
  

  
序奏と第1ワルツに東洋風の響きをもつ作品。
オスマン帝国のアブデュルハミト二世に捧げた。

【 「常動曲」作品257 】

「音楽の冗談」という副題をもつ。
終わりがなく永久に繰り返す形式。
産業革命で急速に機械化が進んでいた当時、
話題になった「永久運動」を音楽に描いている。

【 「加速度ワルツ」作品234 】

題名の通り、徐々に早くなっていくこの曲は、
1860年に技術者舞踏会のために作曲された。

舞踏会場を駆け回っていたシュトラウスは
発表の前日、演奏の合間にこの曲を作曲し、
短時間でオーケストラ練習を行って、
見事に演奏したといわれている。

【 「電磁気ポルカ」作品110 】

1852年にウィーン工科大学の学生を支援する
舞踏会のために書かれた。

【 ワルツ「エルベ川にて」作品477 】

1897年72歳のシュトラウスが、楽友協会で
自ら指揮し、初演したシュトラウスの最後の作品。

【 「アンネン・ポルカ」作品117 】

1852年の作品で、宮廷舞踏会でも大人気となった
初期の傑作で、夏の聖アンナ祭にちなんだ作品。

オーストリア皇帝フェルディナンド一世の
皇后マリア・アンナに捧げられた。
アンナはシュトラウスの母の名前でもある。

【 「学生ポルカ」作品263 】

1862年に王宮で開かれた学生舞踏会で初演された。
引用されている学生歌「いざ楽しまん」は
ブラームスの「大学祝典序曲」にも引用されている。

【 ワルツ「酒・女・歌」作品333 】

シュトラウスと友情を育てていたブラームスと
ワーグナーがこよなく愛した作品で、元々は
「酒・女・歌」を愛さないものは、一生愚か者で
過ごすという、男声合唱だった。

【 「爆発ポルカ」作品43 】

爆発的は、当時「かっこいい!」という意味で
使われていた言葉で、舞踏会場で開かれた
「楽しい爆発祭」で初演され、文字通り
爆発的な人気を呼んだ。

【 「美しく青きドナウ」作品314 】

シュトラウスが、戦いに苦しむ祖国のために書いた
作品で、オーストリアの第2の国家といわれている。
最初は、男声合唱として初演されたが、後に
オーケストラ曲として再び発表された。

この曲を聴いていたブラームスは絶賛し、
「残念ながら私に曲ではない」と言ったという。

* * * * * *

「ワルツ王」のシュトラウス2世は、シュトラウス1世の
長男としてウィーンで生まれた。
幼少には父親の反対で、音楽家になる教育を
受けられなかったが、6歳のころから
ワルツなどを作曲していた。

19歳で楽団を結成し、父の楽団と競争するまでになった。
父の死後、父の楽団も指揮するようになり、
多忙な生活から過労で倒れ、それを機会に
弟のヨーゼフも楽界入りをすることになった。

38歳で宮廷舞踏会楽長の称号を受け、宮廷に
入れるようになり、ワルツの名作が次々と作られた。
父のものよりも洗練されていて、多様であり、
豊かな感覚を持っていた。



       1/1 ヨハン・シュトラウス一世
       1/2 スッペ,フランツ・フォン
          ロンビ,ハンス・クリスチャン
       1/3 ヨハン・シュトラウス二世(長男)
       1/4 ヨーゼフ・シュトラウス(次男)
       1/5 エドゥアルト・シュトラウス(3男)



                

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