 【 交響曲 第10番 ホ短調 Op. 93 】
ショスタコーヴィチ,ディミトリー 〔ソビエト〕 (1906.09.25〜1975.08.09) 68歳 肺癌

二十世紀を代表する大作曲家のショスタコーヴィチは、 マーラー以降の最大の交響曲作曲家として、 ベートーベンやブラームス、マーラーらと並ぶ 交響曲の大家として15曲の交響曲を書いた。
交響曲 第1番 ヘ短調 作品10 (1925年) 交響曲 第2番 ロ長調 作品14「十月革命に捧ぐ」(1927年) 交響曲 第3番 変ホ長調 作品20「メーデー」 (1929年) 交響曲 第4番 ハ短調 作品43 (1936年) 交響曲 第5番 ニ短調 作品47 (1937年) 交響曲 第6番 ロ短調 作品54 (1939年) 交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」(1941年) 交響曲 第8番 ハ短調 作品65 (1943年) 交響曲 第9番 変ホ長調 作品70 (1945年) 交響曲 第10番 ホ短調 作品93 (1953年) 交響曲 第11番 ト短調 作品103 (1905年) 交響曲 第12番 ニ短調 作品112 (1017年) 交響曲 第13番 変ロ短調 作品113「バビ・ヤール」(1962年) 交響曲 第14番 ト短調 作品135「死者の歌」(1969年) 交響曲 第15番 イ短調 作品141 (1971年)
ショスタコーヴィチは、1945年に「交響曲 第9番」を 書いた後は、ジダーノフ批判があり、 交響曲は書いてなかったが、1953年にスターリンが 世を去った後「交響曲 第10番」を発表した。
1950年代後半から晩年にかけては、交響曲、協奏曲、 室内楽曲、さらには声楽曲で傑作を多数残している。
声楽を伴わないものの中では傑作とされる 「交響曲 第10番」は、12月17日に エフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮、 レニングラード・フィルハーモニックの演奏で初演された。
1954年に曲の内容の暗さと「社会主義リアリズム」との 関係において大論争(いわゆる第10論争)を巻き起こし、 作曲家同盟で開かれ国外でも大きく報道された。
自分のドイツ式の綴りのイニシャルからとった DSCH音型が重要なモチーフとして使われている。 (こうした手法をモノグラムという)
第1楽章 Moderato 第2楽章 Allegro 第3楽章 Allegretto 第4楽章 Andante - Allegro
「交響曲 第10番 ホ短調 作品93」は、作曲した年に 四手ピアノのために編曲し、「作品93a」として ピアノ連弾版も存在する。

(管弦楽)マリインスキー劇場管弦楽団 (指揮) ヴァレリー・ゲルギエフ ♪ 私が聴いた音源 ♪
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