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...... 2024年09月21日 の日記 ......
■ 《 イギリスの民謡 》   [ NO. 2024092101-1 ] or

【 吹奏楽のための第2組曲 ヘ長調 Op. 28-2 】

ホルスト,グスターヴ 〔英〕
(1874.09.21〜1934.05.25) 59歳



イギリス国民から「ヘンリー=パーセルの再来」
とまでいわれ、最も敬愛されていたホルストは、
150年前の9月21日、イングランド中部の
チェルトナムで音楽家の家系に生まれた。
父は教会のオルガニスト、母はピアニストという
音楽一家の中で育った。

ホルストは、作曲に興味を持ったが
両親はピアニストにしようと思っていた。
しかし、18歳のときに持病の右腕の神経炎が
悪化し、ピアニストの道は絶たれてしまい、
1893年から1898年にかけてロンドンの
王立音楽大学で作曲を学んだ。

在学中にボーン・ウィリアムズと知り合い、
終生変わらぬ親友だった。

大学を卒業するころには東洋哲学に関心をもち、
古代インドのサンスクリット文学や宗教を研究し、
その英訳もしている。
卒業後はトロンボーン奏者として活躍したが、
後にロンドンのセント・ポール女学校での
音楽科主任をつとめながら、
あらゆるジャンルの音楽を作曲した。

敵がないといわれるくらい円満な人格者だった。
49歳のときに指揮台から転落して脳震盪をおこし、
しばらくその後遺症に悩まされ、作曲家としての
人気は下降していったが、逆にゆとりをもって
新しい音楽の創造に明け暮れた。

1932年ハーバード大学の客員講師として招かれ、
アメリカに渡るがその直後、病に倒れてしまった。
しかし、闘病生活の中でも積極的な音楽活動を
展開したが、帰国後の1934年世を去った。

彼の一人娘のイモージェンも作曲家、ピアニスト、
合唱指揮者、教育家として活動し、
父に関する著書も書いている。

「吹奏楽のための第2組曲」は、1911年に
作曲された作品で、4楽章からなり全曲を通して
イギリスの民謡が使われtいる。

第1楽章 March(行進曲)
第2楽章 Song without Words(無言歌)
第3楽章 Song of the Blacksmith(鍛冶屋の歌)
第4楽章 Fantasia on the Dargasan
        (ターガソンによる幻想曲)


(吹奏楽)イギリス空軍中央音楽隊
(指揮) イモージェン・ホルスト
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





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