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...... 2024年08月19日 の日記 ......
■ 《 天才を発見する天才 》   [ NO. 2024081901-1 ] or

【 幻想曲「花火」OP. 4 】

ストラヴィンスキー,イーゴル 〔露〕
(1882.06.18〜1971.04.06) 88歳

ディアギレフ,セルゲイ・パヴロヴィチ 〔露〕
(1872.03.19〜1929.08.19) 57歳



「天才を発見する天才」といわれ、舞踊興業師・
マネージャーとして活躍したディアギレフは、
ノヴゴロトの貴族の家庭に生まれた。

26歳のときに友人たちと雑誌「芸術世界」を刊行し、
オペラやバレエに興味をもち、パリで監督として
圧倒的な評価を受け、パリでのロシア芸術紹介など、
二十世紀の芸術運動のもっとも強力な
旗手としての役割を果たした。

ディアギレフのロシア・バレエ団の歴史的な
パリ公演は37歳のときで、それから20年後の
最後のロンドン公演の1カ月後の8月19日に
ヴェネツィアで57年の生涯を閉じた。

フォーキン、ニジンスキーなど有能な振付師を揃え、
音楽はストラヴィンスキー、ファリャ、ヒンデミット
など、美術にはピカソ、マティス、ユトリロなど、
天才たちの力をフルに活用した。

古典バレエに飽き足らないディアギレフ一派の
ロシア・バレエ団(バレエ・ルュス)は、
ストラビンスキーの「火の鳥」「春の祭典」などの
成功によってますます新しい音楽を求め、
二十世紀前半の欧米の有名な作曲家は
ほとんどこのために動員された。

ストラヴィンスキーは、リムスキー=コルサコフが
死ぬまで彼の薫陶を受けた。
ストラヴィンスキーの出世作となったオーケストラの
ための幻想曲の「花火」は26歳のときの作品で、
リムスキー=コルサコフの娘の結婚祝いに書いた。

完成後すぐにリムスキー=コルサコフに楽譜を
送ったが、息を引き取った後で、
楽譜は「受取人死去のため」と付箋がついて
彼の手もとに戻ってきたのだった。

その年にペテルブルグで初演されたときに、
たまたまディアギレフが聴いていて、その才能を激賞し、
彼の委嘱で「火の鳥」を書くことになった。



(管弦楽)ベルリン放送交響楽団
(指揮) リッカルド・シャイー
     ♪ 私が聴いた音源 ♪





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