 【 童謡「赤とんぼ」】
山田 耕筰 〔日〕 (1886.06.09〜1965.12.29) 79歳
三木 露風 〔日〕 (1889.06.23〜1964.12.29) 75歳

三木は山田が生まれた3年後の昭和22年の 同じ月の23日に兵庫県で生まれた。
早くから詩や俳句、短歌を新聞や雑誌に寄稿し、 17歳で処女詩集を、20歳で代表作の 「廃園」を出版するなど、早熟の天才だった。
上京後に、修道院で洗礼を受け、クリスチャンになった。
東京オリンピックが開かれた昭和39年12月21日に タクシーにはねられ、脳内出血のため12月29日に 75年の生涯を閉じたが、その1年後の同じ日に 山田は79歳で世を去っている。
1918年ころから鈴木三重吉の赤い鳥運動に 参加し童謡を手がけたが、山田と二人で作った 童謡は数十曲にのぼる。
「赤とんぼ」は、大正10年(1921年)に、 北海道函館附近のトラピスト修道院で講師を していたころ書いたもので、子どものころに見た 赤とんぼの風景を描いている。 山田が作曲をしたのは、昭和2年である。

赤とんぼ
夕焼小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか
十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた
夕焼小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先
|
|