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...... 2024年06月11日 の日記 ......
■ 《平和な家庭》   [ NO. 2024061101-1 ] sy

【 家庭交響曲 Op. 53 】

リヒャルト・シュトラウス,ゲオルク 〔独〕
(1864.06.11〜1949.09.08) 85歳 心臓病



R.シュトラウスは、ミュンヘン宮廷管弦楽団の
第1ホルン奏者のフランツを父に、
ビール製造業者の娘ヨゼフィーネを母として
160年前の6月11日にミュンヘンで生まれた。

父は音楽家として相当の実力のあった人で、
ミュンヘン音楽院の教授、王立バイエルン室内楽奏者、
ミュンヘン国立歌劇場の首席ホルン奏者として活躍し、
ホルンのヨアヒムと呼ばれていた。
彼の祖先にも、室内楽奏者になった人がいる。

R.シュトラウスは、ブラームスに才能を認められ、
後にベルリオーズやリスト、ワーグナーの音楽を研究し、
標題的傾向のある作品に興味を示すようになり、
交響詩の世界に足を踏み入れた。

27歳のときに肺炎になり肋膜炎と気管支炎を患ったが、
強い精神力と新鮮な想像力で次々と新しい音楽の
世界を開拓していった。
ナチスの抬頭とともにドイツ音楽の紹介にも力をつくした。

1944年6月11日、シュトラウスは満80歳の
誕生日をウィーンで迎えた。
1945年ドイツの敗北で戦犯に問われたが、
無罪となり、スイスで静かな余生を送った。

「家庭交響曲」は、R・シュトラウスの管弦楽曲のなかで、
最も知られているものの1つで、自分の私生活を
取り扱った作品である。

ベルリンで指揮者をしていた39歳のときに作られ、
この曲のスコアは、愛する妻と二人の子供に捧げられた。

妻のパウリーナはバイエルンの将軍の長女で、
音楽学校で声楽を勉強しているときに、
R・シュトラウスの門下生だった。

彼に認められて最初の楽劇に出演し、その年に
二人は結婚をしている。
その後、シュトラウス夫人として、彼の歌曲の
最初のそして最良の歌手となった。

2人の間には、4月生まれの1人息子がいて、
「家庭交響曲」を書いたときは6歳になっていた。

徹底的な標題音楽の「家庭交響曲」は、
牧歌的な音楽で、霊感と楽想にあふれていて、
標題音楽の最後にして最大の大家の
名作といわれている。

全曲は4つの部分からできているが、
全部続けて演奏される。
第1部の「主人の主題」「妻の主題」「子供の主題」が、
第2部〜第4部にも現れるので、
全体がソナタ形式のようである。

子供を囲んでの、家庭の日常の情景が音に描かれ、
子供のことで両親のいさかいも出てくるが、
曲は円満に終わる。 

         第1楽章 Bewegt
         第2楽章 Scherzo
         第3楽章 Wiegenlied
         第4楽章 Adagio
         第5楽章 Finale



(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) アンドレ・プレヴィン       
           ♪ 私が聴いた音源 ♪





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