[PREV] [NEXT]
...... 2024年04月23日 の日記 ......
■ 《 生命感 》   [ NO. 2024042301-1 ] co

【 ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 Op, 26 】

プロコフィエフ,セルゲイ 〔露〕
(1891.04.23〜1953.03.04) 61歳



プロコフィエフは133年前の4月23日に
ソ連のソンツォフカ村の領地管理人をしていた父と、
ピアノの上手な母との間に生まれ、幼児からピアノに
親しみ、5歳のときに「インドふうガロップ」という
ピアノ曲を作曲した。

有能なピアニストだったプロコフィエフは、生涯に
多くのピアノ作品を残したが、ピアノ協奏曲は5曲ある。

     第1番 変ニ長調 作品10 (1911年)
     第2番 ト短調 作品16 (1913年)
     第3番 ハ長調 作品26 (1921年)
     第4番 「左手のための」作品53 (1931年)
     第5番 ト長調 作品55 (1932年)

現代ピアノ協奏曲の中で、最も有名なのが
第3番で、対位法的な技法を中心としたメカニックな
構成をとっていて、土俗的なロシアの国民性と
あふれるような生命感とに結び合わされている。

カスタネットが効果的にあらわれ、エネルギッシュな
盛り上げを作って、力強く結ばれる第1楽章。
第5変奏からなり、プロコフィエフの抒情性が十分
発揮された美しい第2楽章。
突進するような勢いで華麗に終わる第3楽章からなる。

       第1楽章 Andante - Allegro
       第2楽章 Tema con variazioni
       第3楽章 Allegro ma non troppo

ロシア革命の年の1917年にペトログラードで
着手されたが、翌年ソヴェート政権の安定によって、
地主階級出身のプロコフィエフは、祖国における
生活に希望がもてず、シベリア、日本を経由して
アメリカに亡命したため、作曲は放置された。

1922年まで彼はアメリカに生活の本拠を置いて
コンサート・ピアニストとして活躍し、
度々ヨーロッパにも出かけている。

「第3番」は1921年にパリで完成し、その年の
12月16日にプロコフィエフのピアノと
シカゴ交響楽団によって初演された。



(ピアノ)アレキサンドル・トラーゼ
(管弦楽)NHK交響楽団      
(指揮) パーヴォ・ヤルヴィ   
       ♪ 私が聴いた音源 ♪
 




...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: