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...... 2023年06月11日 の日記 ......
■ 《 オーボエの幻想曲 》   [ NO. 2023061101-1 ] co

【 オーボエ協奏曲 ニ長調 】

リヒャルト・シュトラウス,ゲオルク 〔独〕
(1864.06.11〜1949.09.08) 85歳 心臓病



R.シュトラウスは、ミュンヘン宮廷管弦楽団の
第1ホルン奏者のフランツを父に、
ビール製造業者の娘ヨゼフィーネを母として
159年前の6月11日にミュンヘンで生まれた。

父は音楽家として相当の実力のあった人で、
ミュンヘン音楽院の教授、王立バイエルン室内楽奏者、
ミュンヘン国立歌劇場の首席ホルン奏者として活躍し、
ホルンのヨアヒムと呼ばれていた。
彼の祖先にも、室内楽奏者になった人がいる。

R.シュトラウスは、ブラームスに才能を認められ、
後にベルリオーズやリスト、ワーグナーの音楽を研究し、
標題的傾向のある作品に興味を示すようになり、
交響詩の世界に足を踏み入れた。

27歳のときに肺炎になり肋膜炎と気管支炎を
患ったが、強い精神力と新鮮な想像力で
次々と新しい音楽の世界を開拓していった。
ナチスの抬頭とともにドイツ音楽の
紹介にも力をつくした。

1944年の6月11日、シュトラウスは満80歳の
誕生日をウィーンで迎えた。
1945年ドイツの敗北で戦犯に問われたが、
無罪となり、スイスで静かな余生を送った。

晩年のシュトラウスは、特に木管楽器を好んで
取り上げ、その繊細な技巧を活用する
多くの作品を書いた。

敗戦後、シュトラウスはチューリッヒ近郊の
バーデンに滞在していた。
この時期に、スイスの美しい風光に憩いつつ
書かれたのがこの「オーボエ協奏曲」で、
オーボエの幻想曲ともいえる第1楽章は、
モーツァルトの音楽をも想わせる。
1947年2月26日にチューリヒで初演された。

ショパンのピアノ協奏曲において、全てを語るのが
ピアノであるのと同じくらい、この曲はオーボエが
全てで、どの主題にもオーボエの独自性が
刻み込まれ、形式そのものさえ、オーボエでなくては
得られぬ自由な息吹きが与えられている。
オーボエ奏者にとって、貴重なレパートリーとなる
一曲といえる。

全体は3楽章からなっているが、個々の楽章は
それぞれ続けて演奏される。

       第1楽章 Allegro moderato
       第2楽章 Andante
       第3楽章 vivace



(オーボエ)トーマス・インダミューレ
(管弦楽) ブルターニュ管弦楽団  
(指揮)  クロード・シュニツラー 
        ♪ 私が聴いた音源 ♪





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