[PREV] [NEXT]
...... 2023年05月10日 の日記 ......
■ 《 映画音楽 》   [ NO. 2023051001-1 ] or

【 遥かなるアラモ 】
     
ティオムキン,ディミトリー 〔露→米〕
(1894.05.10〜1979.11.11) 85歳
       

        
ロシア人ながら、アメリカ映画音楽のスタイルを
作ったティオムキンは、129年前の5月10日に
ペテルブルグで生まれた。

父は病理学者だったが、ピアニストの母の影響で
音楽の道を選んだ。
ペテルブルグ音楽院でグラズノフに学び、
卒業後はピアニストのブゾーニに師事した。

24歳のときにピアニストとしてデビューしたが、
シャリアピンの紹介でアメリカに初の
演奏旅行をしたのは31歳のときだった。
その折に、オーストリアのバレリーナ、
アルベルティナ・ラッシュと知り合い結婚をした。

35歳のときにロシア革命に遭遇し、
ベルリン経由で再度渡米をし、そのまま移住した。
バレエ音楽などを書いていたが、フランク・キュプラ
監督の「失われた地平線」の映画音楽の成功で
本格的に映画音楽の作曲家なった。

43歳のときに事故で右腕を骨折する大怪我をし、
ピアニストを断念し、指揮者、作曲家として
数々の映画に係わった。
特に、西部劇音楽の第一人者だったが、
代表作としては、真昼の決闘(1952年)、
ジャイアンツ(1956年)、老人と海(1958年)、
北京の55日(1963年)など多くの作品があるが、
アカデミー賞などの数々の映画賞も受賞している。

1968年にハリウッドを去って、
ロンドンに移住したが、パリでも過ごした。
73歳のとき妻が亡くなり、78歳のときに
45歳年下の若い秘書と再婚した。
1979年にロンドンのハイゲートの自宅で
85歳の生涯を閉じた。

ティオムキンは、オーケストレーションの
達人だったグラズノフに学んだこともあって、
重厚な弦楽合奏に独特の金管群の扱いを
交えた、個性豊かなサウンドを作り上げる
強みを備えていた。

1960年の作品の「アラモ」は、ティオムキンの
多彩な音楽スタイルを聴かせてくれる。
主題歌の「遥かなるアラモ」は、
ブラザース・フォアが歌ってヒットした。




...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: